小グループで聖書を学ぶ
16 群衆から弟子へ(マルコ3:7〜12)

「心の門を開いて」

 大勢のファンが押し寄せて、倒れて怪我人が出たというニュースがしばしばあります。今日の箇所では、大勢の群衆がイエス様のところに押し寄せています。この群衆について学びながら、はたして私は群衆なのだろうか。それとも、弟子なのだろうと考えてみたいと思います。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イエス様が多くの病人を癒したり、悪霊を追い出したりしたことが、瞬く間に広まり、今やイエス様は、時の人、有名人となりました。そして、どんなことが起こりましたか。繰り返し、強調されていることは何ですか。
・7〜8節/


2 各地から集まって来た群衆は、様々な理由で、様々な人生の問題を抱えて来ました。病気で苦しんでいた人、悪霊につかれた者、家庭や仕事の問題に悩む者、人生の重荷を抱えた人たちが来たのでしょう。彼らが、イエス様のところに押し寄せた目的は、一言で表現するなら、どういうことだと思いますか。



3 群衆は、自分のニーズを満たすために、イエス様の所に押し寄せて来ましたが、イエス様も、様々な問題を抱えて来た者の必要を満たしてくださって、彼らが抱えていた労苦を解決してくださいました。あなたは、どんな理由と目的をもってイエス様のもとに来たのですか。
・マタイ11:28/


4 群衆には、問題がありました。彼らは、自分の有益になるであろうとイエス様の所に押し寄せて来ました。ほとんどの人は、自分の問題を解決することだけに関心がありました。彼らには、イエス様の話しを聞いて、イエス様の願われることをしようという思いがあったのでしょうか。彼らのどんな行動から分かりますか。
・9〜10節/


5 はじめは、自分の人生の問題でいっぱいだった者が、問題の解決のためにだけ関心をもってイエス様のところへ来ます。そして、御言葉によって造り変えられる可能性があり、主に用いられる器となる可能性があります。しかし、悪くなる可能性もあります。イエス様を十字架につけろと叫んだ人々は、誰ですか。
・マタイ27:23〜24/


6 群衆は、自分の問題が解決するまで、あるいは仕事がうまく行く時までは、イエス様を熱心に求めます。しかし、すべてが満たされるとイエス様から離れて行きました。自分の思い通りにならないと、イエス様に反発しました。イエス様は、5千人の給食の後も付いて来る群衆に向かって、何と言われましたか。それを読んで、あなたの感想はどうですか。
・ヨハネ6:24〜27/


7 イエス様を取り囲む群衆には2種類あります。一つは、うまくいくときまで信じる者であり、もう一つは、思い通りになろうとなかろうとイエス様を愛して、イエス様の御言葉に聞き従って、イエス様に付いて行く者です。この後者のような人々が、イエス様の弟子となるのです。この箇所にも弟子たちが登場しています。弟子たちは、どんな様子ですか。群衆と比べて、弟子たちはどう違いますか。
・6〜7節/
・9節/

8 弟子たちは、不利益な状況になっても、イエス様と一緒にいました。イエス様に聞き従う者たちでした。弟子たちは、死に至るまでイエス様に忠実でした。今の私たちの姿はどうでしょうか。どのような弟子になりたいと願いますか。
・黙示録2:10/
・Tコリント6:20,10:31/

9 悪霊どもは、イエス様がどなたであるかを知っていたが、群衆を扇動して混乱を巻き起こすことが目的で、イエス様に従うつもりはありませんでした。群衆も、イエス様が誰であるかを悟ることに失敗しました。では、人は、どうする必要がありますか。
・11〜12節/
・ローマ10:9〜10/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様の教えを聞いても、群衆は変わりませんでした。弟子たちは御言葉を聞いて、イエス様を信じて変わりました。福音を聞いて、イエス様に従う決断をした弟子たちは、イエス様のニーズを聞きました。イエス様の関心は、御言葉に聞き従い、御旨を行う弟子にあります。イエス様は、私たち一人一人が、主の弟子になることを求めておられます。クリスチャンが群衆として生きるだけで、望みがあるのでしょうか。最後まで弟子としての道を行くなら望みがあります。イエス様は、弟子となって付いて来なさいと言われました。適用を分かち合い、祈りましょう。マタイ16:24。

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