小グループで聖書を学ぶ

20 耳のある者は聞きなさい(マルコ4:1〜20)

「心の門を開いて」

 ミレーの「種蒔く人」という絵をご存知でしょうか。その元になっているのが、今日の聖書箇所です。この箇所の中心は、種でも種をまく人でもなく、種がまかれる土地です。「種まきのたとえ」は、御言葉を受ける者の心の状態が重要であることを悟らせてくれます。果たして自分はどんな土地であろうかと思いながら学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 種蒔く人は、イエス様のこと、種は、御言葉です。14節。そして、土地は、御言葉を聞く人の心をあらわしています。道端とは、どのような土地ですか。道端のような心とは、どんな心ですか。御言葉を聞くと、どうなりますか。
・4節/
・14〜15節/

2 道端のような心は、メッセージを聞いても、同意できず受け入れません。自分で決めた枠に合う御言葉でなければ、聞くことをしないのです。自分の偏見と肉の思いに囚われていて、御言葉を聞いても心に入って来ないのです。道端のような心に御言葉がまかれても、サタンが御言葉の恵みを奪ってしまうということになります。そんな経験がありますか。
・Tコリント2:14/


3 岩地に蒔かれた種は、最初はよく育ちますが、土が薄いので根を下すことができません。岩地のような心は、困難や迫害が起こるとどうなりますか。そうならないためにどうすればいいと思いますか。
・5〜6,16〜17節/
・コロサイ2:7/

4 いばらの中に種がまかれると、いばらの方が早く成長して、日光を遮るので、種は伸びることも実を結ぶこともできません。この譬えが意味することは何ですか。なぜ、信仰生活や信仰の成長が妨げられるのですか。
・7,18〜19節/


5 世の心づかいとは、心配のことです。今日も、多くの人々が、心配と不安のために生じた障害で苦しんでいます。現実は全く悲観的ではないのに、じっとしていると、いろいろな種類の否定的な考えが頭をかすめてきます。心配とは、現実を現実のまま見ないで、否定的に解釈することです。まだ起こっていないことを心配します。あなたの抱いている心配や不安は何ですか。


6 心配メリムナとは、思いと心が分散されていることを意味します。食べることの心配、仕事に対する心配、子供のための心配、健康の不安、将来についても不安などで、私たちの思いは分散しています。心配とは、現実を現実のまま見ないで、否定的に解釈することです。まだ起こっていないことを心配します。心配は私たちの心が生み出す虚像なのです。聖書は、それについて、何と言っていますか。私たちはどうすればいいのですか。
・ピリピ4:6/
・マタイ6:26〜30/
・箴言30章7〜9節/

7 良い地にまかれた種は、芽が出て、育って、多くの実を結びます。良い地のような心に御言葉の種がまかれれば、どうなると約束されていますか。
・8, 20節/


8 私たちはどこに落ちた種でしょうか。良い地になるためには、どうするのでしょうか。はじめから、道端、岩地、いばらの中、良い地に決まっている人はいません。その時その時、道端だったり、岩地だったり、いばらの中だったりし、良い地にもなります。私たちは、どうしなければなりませんか。
・エレミヤ4:3/
・9,12節/

9 この譬え話を読んで不思議に思うことは、農民が道端や岩地に種をまくだろうか、誰がいばらの中に種をまくだろうかということです。でも、種蒔く人は主なのです。イエス様は、私たちのために十字架にかかられたお方です。あなたは、どう思われますか。
・ルカ23:34/
・Uコリント5:14〜15/

「命の実を刈り取ろう」

私たちを愛されるイエス様は、道端や岩地、いばらの中にも御言葉の種をまいてくださいました。私たちの心が、やがて良い地となることを願って、そうしてくださったのです。ですから、私たちも、御言葉によって養われ、心が造り変えられることを願います。今日の学びを通して、発見したこと、悔い改めたこと、決心したことなどを分かち合って、互いのために祈り合いましょう。9節。

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