小グループで聖書を学ぶ
22 人生の嵐の中で(マルコ4:35〜41)

「心の門を開いて」

 人生は海に例えられ、その間に起こる試練が嵐に例えられます。私たちが人生の中で、試練や問題にどのように出会うのでしょうか。出会う時どうするのでしょうか。その時、どう対処しようとするのでしょうか。どうしなければならないのでしょうか。きょうのガリラヤ湖で嵐に遭った弟子たちの姿が、それを教えてくれます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 ガリラヤ湖は、海抜マイナス212mです。夏でも雪の残る北方のヘルモン山(2744m)の冷たい空気と南方の砂漠の熱風が、ガリラヤ湖でぶつかるとき、予期しない強風が起きるそうです。どういう状況で、どんな風が起きましたか。
・35〜37節/
・箴言6:15/

2 イエス様と弟子たちが、新しい所へ行こうとした時、静かに湖を渡っている途中に、突然の嵐です。時には、私たちの人生の中で、突然強風が吹き荒れることがあります。予期せぬ病気や事故、仕事の失敗や学びの困難、家庭の問題など、私たちの生活を脅かす突風が吹き荒れます。私たちの心を沈没させるように、問題や事件の波風が押し寄せることがあります。人生にどんな暴風が吹きましたか。



3 人生の嵐の中でさらに大きな問題は、そのような時私たちの心が、あまりにも簡単に失望と落胆におおわれて、恨みと怒りが生じてしまうということです。困難を誰かのせいだとしたり、自分はだめだと恐れたりします。そういうことがありませんでしたか。



4 弟子たちは、みなガリラヤ出身、その多くは元漁師です。その弟子たちが、力を尽しても、どうすることもできませんでした。専門分野での問題は、余計に問題の大きさと力の及ばないことを悟らせます。それでも肉の方法に執着する聖徒たちがいます。弟子たちはどうしましたか。何に気が付いたのですか。
・38節, 詩篇39:12/
・マタイ28:20 /

5 弟子たちは、寝ていたイエス様に対して、恨み混じりに訴えました。私たちも、イエス様を信じているのになぜ仕事がうまく行かないのか。どうして健康でないのか。問題に悩んでいる私を見捨てておられるのだろうか。こんなに祈っているのに、聞いておられないのだろうか。そんなふうに考えたり、思ったりしてしまいます。あなたはどうですか。



6 弟子たちは、それまでイエス様が一緒にいることを意識することなく、懸命に自分たちの力で問題を解決しようとしました。弟子たちはこれ以上耐えられなくなって、イエス様を起こして叫びました。不満と恨みの混じった声でしたが、これが大きな転換点となりました。イエス様は、弟子たちの訴えに対して、どうしてくださいましたか。
・39節/


7 私たちも、人生の嵐の中でイエス様を起こして?祈り、訴えます。そうする私たちには、どんな約束がありますか。
・マタイ6:33/
・ローマ8:32/

8 イエス様は、恐れている弟子たちに信仰がないと言われましたが、信仰がなくなったのでなく、その間信仰がどこかに行っていたのです。並行記事では、「あなたがたの信仰はどこに行ったのか」と記されています。ですから、人生の嵐の問題は、私たち自身の信仰の問題だと教えています。どんな時、「あなたの信仰はどこに行ったのか」と言う主の御声を聞く必要がありますか。
・40節, ルカ8:25/
・ヨハネ14:1/

9 信仰は、主のご人格に対する信頼と関連しています。試練の時は、イエス様に対する信頼が構築される過程でもあります。幸いなのは、嵐が静かになった後に見せてくれた弟子たちの反応です。40節の「こわがる」(デイロス)は、「こわがって臆病になる」という意味ですが、41節の「恐怖」ポベオーは、神を「畏れて敬う」という意味です。弟子たちの心は、どうなったということですか。何を与えられたということですか。
・40〜41節/
・ヨハネ16:33/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちの人生の中で、突然嵐が吹き荒れることがあります。予期せぬ病気や事故、仕事の失敗や学びの困難、家庭の問題などが、私たちの生活を揺り動かします。しかし、文句でも恨みでもいいから、イエス様に祈って、訴えましょう。人生の嵐を経験しながら、少しずつ主を信頼する信仰を身につけていくのです。平安は、私たちの努力で得られるのではなく、神様を信頼する時に与えられるという事実を教えています。突然の嵐に恐れるでしょう。しかし、主に拠り頼むならば、十字架の主は、嵐を静め、心を静めてくださいます。受けた導きや適用を分かち合いましょう。詩篇62:8。

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