小グループで聖書を学ぶ

24 絶望から希望へ(マルコ5:21〜34)

「心の門を開いて」

 同じ御言葉を読んでも、恵みを覚える人と覚えない人がいるのはなぜでしょう。同じメッセージを聞いても、導きを受ける人と受けない人がいるその違いは何でしょう。その理由を今日の箇所から見つけましょう。イエス様に出会った一人の女性を通して、信仰について学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 場面は、イエス様が会堂管理者ヤイロの娘の病気を治しに行くために、群衆が押し迫る道を急いでおられるという状況です。その中に一人の女性が現れます。どんな境遇の女性ですか。肉体的、精神的、経済的、社会的状況は、どうですか。
・24〜26節/
・レビ15:25/

2 下血が止まらない症状が12年間も続いていました。治療費のために財産を使い果たし、直せない医者に酷い目に会わされました。当時のユダヤの社会慣習によって、汚れた者として社会的に疎外されました。孤独で、誰にも話すことができなかったでしょう。生活基盤が失わそうな危機に直面し、限界状況に達していました。そんな状況のこの人の心を想像してみてください。どんなことを感じますか。



3 あなたも、人間関係や仕事のトラブル、何かの問題で、もうだめだ、限界だと思い、絶望に陥ることがありませんでしたか。何か問題や心の痛みを自分の中にだけ持っていたことはありませんか。



4 この女性は、そんな絶望の中で、イエス様のことを聞いたというのですが、イエス様のどんなことを聞いたのですか。それを聞いて、この人は何をしましたか。
・27節/
・マタイ4:23〜24/

5 この女性が、イエス様の着物にさわったのは、この人がどんな信仰を持っていたからですか。なぜ、着物にさわるという方法を取ったのですか。
・28節/
・ヘブル11:6, ヤコブ2:17/

6 汚れた者として人々の前に出ることができない立場だったので、自分の存在をひた隠しして、群衆にまぎれてイエス様の着物にふれました。どうしようもない限界状況の中で、イエス様の癒しの力を信頼するほかないという切実な信仰でした。着物に霊力を信じていたのではなく、イエス様を信じました。私たちに、これほどの切実な信仰があるでしょうか。御言葉の約束を聞いて、期待していますか。確信をもって嘆願の祈りをしますか。



7 女性の体が癒された瞬間、イエス様は、何と質問されましたか。本当に分からなかったので、質問されたのでしょうか。それに対する弟子たちの言い分はもっともなことですが、イエス様の意図はそれとは違います。イエス様は、どのような意図を持って、そのような質問をされたのですか。三つほど考えられます。
・29〜32節/


8 イエス様は、群衆の前で公然と宣言することで、もはや社会で疎外されないようにされました。汚れた者だという罪の意識から解放してくださり、元のコミュニティに復帰して、幸せな生活ができるようにしてくださいました。ですから、イエス様の前に出てひれ伏して真実を打ち明けた女性に対して、どんな祝福を言ってくださいましたか。
・33〜34節/


9 もしこの人が、恵みよりも体面を重んじて黙ったままでその場を去ったなら、素晴らしい祝福の言葉は受けられません。イエス様を信じていながら、恵みよりも対面を重んじる人も多いのです。恥ずかしいからと、祈ってもらうべきことを知らせない人もいます。信仰を与えられ、恵みを受けても、それを明らかにしない人がいます。信じることができたら告白し、恵まれたら感謝することが大切です。それをあらわすことで、確信が与えられ、恵みが増し加わります。あなたが、応答すべき恵みは、どんなことに対してですか。


「命の実を刈り取ろう」

 今日も、様々な問題で傷んで、苦しんでいる人がいます。多くの人々が問題を自分の力で解決しようと努力します。しかし、12年間長血であった女性のように、努力すればするほど痛みが増し、解決できないことも多くあります。イエス様のところに出てください。誰も知らないその痛み、その悩みを持ってそっとイエス様に触れてください。イエス様が私の問題を解決してくださるという信仰をもって、イエス様に問題を持って行くなら、イエス様が私たちの問題を解決してくださいます。今日の学びを通して示されたこと与えられた恵みなどを分かち合い、互いにのために祈りましょう。

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