小グループで聖書を学ぶ

28 イエス様を指し示す者(マルコ6:14〜29)

「心の門を開いて」

 人の心の奥には、権力を握って、自分の欲の思うままにしてみたいという思いがあるそうです。また、まじめに働いて人生を生きても損ではないか、自分の欲の思うままに生きた人がうらやましいという思いを持つそうです。はたして、そうなのでしょうか。ここに登場するヘロデ王とバプテスマのヨハネの姿から、信仰者の生涯について学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 遣わされた弟子たちによってイエス様のことが知られるようになると、人々はイエス様についてどんなうわさをするようになりましたか。それを聞いて、誰がどんな反応をしましたか。なぜそのような反応をしたのですか。
・14〜16節/
・/

2 バプテスマのヨハネ殺害事件とは、どんな事件ですか。17〜29節にざっと目を通してみましょう。なぜヘロデ王は良心を失い、不法と残虐を行ったのでしょうか。3つほど理由が考えられます。
・22〜23,26節/
・ヤコブ1:14〜15/

3 誰にも、欲や虚栄心があり、人の評価を気にします。私たちも気をつけなければなりません。ヨセフスのユダヤ史によれば、やがてヘロデヤにせがまれたヘロデは、皇帝カリギュラに正式な王位を求めたところ、かえって不興を買い、二人はイスパニヤに流刑となり、そこで生涯を終えたと記録されています。2人の悪行と最期を知って、思うことは何ですか。欲のままに生きた人がうらやましいですか。



4 欲望のまま権力をふるい続けた二人の末路を知って、溜飲が下がったとしても、ヨハネは残酷に殺されました。預言者としての働きをしたのに、こんな悲惨な最期なんて空しすぎると思われるでしょうか。二人の欲望の犠牲となったヨハネの生涯を振り返ってみましょう。どんな人ですか。働きはどうですか。
・マルコ1:4〜5,/
・ヨハネ1:29,3:26〜30/

5 ヨハネは、最初から自分は救い主の到来を告げる先触れだ、とイエス様を指し示しました。ヨハネは、人々が自分に注目することを望みませんでした。人々を振り回す妬みも虚栄心の片鱗もありません。自分の使命を果たせれば、人々の評価や賞賛がなくてもいいという態度です。このような信仰者の姿を見て、どう思いますか。



6 素晴らしい信仰者が、権力と欲望の犠牲になって斬首されるのは酷過ぎる、そのような最期では空し過ぎると思われるでしょうか。牢獄で死の恐れの中にいたヨハネ自身、自分の人生や働きを何と思ったのでしょうか。引用箇所から想像してみましょう。
・マタイ11:2〜4/
・マタイ11:10〜11/

7 バプテスマのヨハネは、イエス様を指し示したので、彼の人生は輝きます。イエス様のゆえに、彼の死さえも輝きます。この箇所は、弟子たちが2人組みで遣わされた話と帰って来て報告している話に挿入されています。このことは、弟子たちに何を教えているのでしょうか。私たちにどんな心の備えを教えているのでしょうか。
・12〜13,30節/
・Uテモテ3:12, マタイ16:24/

8 私たち長老教会の先駆者、宗教改革者のカルヴァンの活動によって、スイスのジュネーブは、当時市全体が宗教改革の信仰で治められ、ヨーロッパの良心と呼ばれました。彼の生き方の基盤をあらわしたラテン語は、「コラムデオ、神の御前に」という意味の言葉です。神の前で生きるということを表現しています。あなたは、何をしていても、どこに行っていても、神の目の前で行動することを意識していますか。
・コロサイ3:17/


9 イエス様の弟子である私たちも、ヨハネのように、イエス様を指し示して生きることが必要です。私たちがしなければならないことは、自分の生涯を通してイエス様を指し示して生きるということです。イエス様が私たちのために十字架で死んでくださったので、私たちは、イエス様のために生きることができます。死んでも、ヨハネのようにイエス様を指し示すことができます。今のあなたの立場や環境において、どのようにしてイエス様を指し示し、イエス様をあらわしたいと願いますか。
・ローマ14:7〜9/

「命の実を刈り取ろう」

 今日の箇所は、ヨハネの悲惨な死を記している箇所ですが、重要なことは、それを通してイエス様があらわされたことです。ヨハネが生きていても、死んでも、イエス様があらわされたことに注目しましょう。私たちの生涯も、そのようになりますように願います。御言葉の適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。

戻る