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29 小さな献身に働く祝福(マルコ6:30〜44)

「心の門を開いて」

 ビジネスの世界では、とりわけ数字がものを言うのですが、数字にとらわれると危険だとも言われます。たとえば、売り上げ目標という数字にとらわれ過ぎると、無理な売り方や不当な方法をすることになって、企業のサービスを通して顧客に喜んでもらうという本来の目的が見失われてしまうからです。弟子たちも、数字にとらわれて本来の目的を失っていたようです。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 伝道旅行に出ていた弟子たちが戻って来て、報告をしました。その働きは大成功し、弟子たちは、自分たちは頑張ったという思いが強く、それだけ疲れも覚えていたようです。それで、イエス様は弟子たちにどのような指示をされましたか。それに対して、どのようなことが起こりましたか。
・30〜32節/
・33節/

2 イエス様を追い求めて、群衆が先回りして集まって来ました。休みを必要としていた弟子たちには迷惑なことだったでしょうが、イエス様にとってはそうではありません。イエス様は、群衆をどのようにご覧になられましたか。それは、イエス様がどういうお方だからですか。
・34節/
・ヨハネ10:11/

3 あわれみとは、苦難を一緒に負うことを意味し、他人の痛みを共にすることです。イエス様には、彼らの痛みがご自分の痛みになりました。彼らの苦しみがイエス様の苦しみになりました。ついには、イエス様はどうされましたか。
・Tペテロ3:18/


4 夕方になり、弟子たちは、群衆を解散させて、めいめい食事を取らせるようにとイエス様に提案します。妥当で適切な判断でしょう。しかし、イエス様は、彼らが考えもしなかったことを命じられました。どんな命令ですか。その目的は何ですか。弟子たちは、その命令にどう反応しましたか。
・35〜37節/
・ヨハネ6:6〜7/

5 イエス様は、弟子たちの環境をよく知っておられます。それでも、弟子たちを試して、「あなたがたでしなさい」と言われました。イエス様は、私たちの都合も知っておられ、私たちの環境の難しさも理解されています。それでも、「あなたがしなさい。自分でやってみなさい」と試される時があります。どんな時ですか。どう応答しますか。



6 弟子たちの計算は的確で、群衆を解散させるというのも合理的な判断でした。しかし、弟子たちは、自分たちの判断、自分の計算にとらわれたため、群衆をあわれみ、群衆に仕えるという目的を見失っていました。そして、イエス様に信頼して、イエス様に用いられるという弟子の目的を見失い、200デナリだけを考えて否定的になりました。あなたも、何かのことで計算にとらわれ、否定的になって、目的を見失ったことがありませんか。



7 イエス様は、計算にとらわれて否定的になっていた弟子たちに対して、どうするように求められましたか。何に目をとめさせ、何に気付かせようとされたのですか。
・38節/


8 イエス様は、弟子たちが探し出して持っていた「五つのパンと二匹の魚」を祝福して、群衆に分けてくださいました。人々はみな、食べて満腹し、たくさん余りました。主が働いてくださる時、数字を越えます。弟子たちは、否定的だったのに、どうして、このような祝福が起こったのでしょうか。どんな変化があったのですか。
・42〜43節/
・38節後半,ヨハネ6:9前半/

9 、弟子たちは、役立たないと否定しながら、5つのパンと2匹の魚を持って来ました。それは、一人の少年が、「僕の弁当をみんなに分けてください」と持って来たからです。この純粋な少年の心は、計算などしていません。みんなの役に立ちたい、みんなを助けたいと自分の弁当を弟子たちに差し出したのです。この小さな献身が、イエス様の大きな奇跡を引き出すことになりました。あなたが置かれているところで、あなたの抱えている問題のために、あなたが出すことのできる5つのパンと2匹の魚とは、何ですか。


「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、肉の思いになると、無いものばかりを考えて、計算して否定的になりがちです。でも、イエス様は「あるものを探してみなさい。何がありますか」と言われます。イエス様は、無いものを望んでいません。私たちの5つのパンと2匹の魚を望んでおられます。私たちの小さな献身を望んでおられます。そうすれば、祝福して用いてくださいます。与えられた適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。

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