小グループで聖書を学ぶ

31 内から出るものが人を汚す(マルコ7:1〜23)

「心の門を開いて」

 素晴らしい花園で、きれいな花を見ていると、心が洗われるようです。美しい花園は、見る人の心をきれいな思いにしてくれるのでしょう。私たちの心は、どのようになっているのでしょう。雑草だらけの心はどんなものでしょうか。どのようにして心が美しい花園のようになれるのでしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 パリサイ人は、どんなことを守っていた人々ですか。そのために、イエス様に対して何と言って来たのですか。
・1〜5節/


2 手を洗わないで食事をする弟子たちを批判したのは、衛生上の問題ではありません。何かに触れて宗教的に汚れているかもしれないから、からだをきよめてから食事をすべしという言い伝えに反しているので非難をしたのでした。それに対して、イエス様は、パリサイ人の根本的な誤りを指摘されました。どんなことですか。彼らを何と呼んでいますか。
・6〜8節/


3 パリサイ人は,本来神様に対して心をきよめるために水を使っていたのを、手を洗うという形だけにしてしまいました。口先では神様を敬うが、その心は神様から遠く離れていました。その例として、どんなことを挙げていますか。あなたにとって、そのような例はありましたか。
・10〜13節/


4 パリサイ人は、御言葉に従おうとして、言い伝えを作りました。しかし、やがてその言い伝えを守ること自体に心がとらわれ、人の賞賛を求めるようになり、神様を忘れ、御言葉をなおざりにするようになりました。そのような姿にならないために、イエス様が群衆に教えられたことは、何ですか。その意味は、何ですか。
・15節/
・18〜20節/

5 「外側から人に入って、人を汚すのではなく、人から出て来るものが、人を汚す」と言われるのですが、「人の内側から出て来て人を汚すもの」とは、何でしょうか。そのリストを見て、思うことは何ですか。
・21〜23節/


6 ここに挙げられた悪のリストは、人と人との間で起こるものです。世の中で生きている私たちにとって最も重要なことは、人間関係です。感情的に健康な状態というのは、満足できる相互関係によって生まれます。悪のリストのために、どれだけ人間関係が壊れて、互いに傷つけ合い、悲しみ、苦しんでいることでしょう。このようなものをそのままにしていたら、人はどうなりますか。人の努力で悪が消え、きよくなることができるのですか。
・創世記6:5/
・エレミヤ17:9/

7 本来、人間は、神のご性質に似せて造られた尊い存在です。きよい素直な心で神様を愛することができました。しかし、サタンの誘惑に堕ちて、御言葉に不従順になると、心が腐敗し始めました。私たちの内にある罪が、したくない悪を行わせるのです。どうしたら、罪が赦され、きよくなれるのでしょうか。
・ローマ7:20/
・ヘブル9:22 , エペソ1:7 /

8 旧約時代には、罪の聖めや罪ある人間が聖なる神の前に進む時は、必ず動物の血を注ぎました。しかし、その血の効果は一時的であり、完全ではありません。神様は、このような人間のためにひとり子イエス様をこの地上に送ってくださいました。イエス様は、私たちの代わりに十字架にかかって死なれ、ご自分の血を流されて、罪の赦しを与えてくださいました。あなたは、この救いの恵みにどう応えますか。
・ヘブル9:7,9/
・ヘブル9:14〜15/

9 頭で信じても、心がそのままなら、私たちの言動に悪のリストがあらわれ、人間関係は傷付き、苦しみと悲しみが生じて来ます。信じた私たちは、罪を赦され、天国への命が与えられ、きよい心で生きるようにされています。イエス様の十字架の血潮がどれほど自分をきよめて、変えてくれるかについて、私たちは、どうする必要があるのでしょうか。
・ガラテヤ5:24 /

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様を信じて、イエス様の血によってきよめられている。十字架によって私は新しくされていると確信して、御言葉通り生きようとすることです。イエス様の尊い犠牲によって、心の中からきよめられています。だから、きよい生き方ができると信じて、きよく生きるのです。パリサイ人のような努力ではありません。イエス様の血潮の恵み、十字架の赦しの力が、そうさせてくれます。聖霊が導いてくださいます。きょうの学びを通して与えられた導きや気付きを分かち合い、互いのために祈りましょう。

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