小グループで聖書を学ぶ

32 小犬でもパンをいただきます(マルコ7:24〜30)

「心の門を開いて」

 私たちは、どんな信仰を持っているでしょうか。パリサイ人は、御言葉より自分たちの考えを中心にした信仰でした。自分たちが神の民であることにプライドを持ち、神の恵みを受けるのを当然と考えていました。そして、自分たちの意に沿わないイエス様を攻撃しました。イエス様は、ある異邦人の女性を通して、本当の信仰を見せてくださいました。(並行記事マタイ15:21〜28も参照しましょう)

「御言葉の種を蒔きながら」

1 外側はきよめても、内側は汚れたままのパリサイ人たちから、イエス様は離れました。どこへ行かれましたか。どんな人に会いましたか。
・24〜26節 /
・マタイ15:21〜22/

2 そこにもイエス様のうわさが伝わっていて、一人の異邦人の女性がイエス様に助けを求めて来ました。イエス様を「主、ダビデの子」とも呼ぶほど、イエス様を知っており、信仰を持っていました。イエス様が一言もお答えにならなくても、弟子たちにうるさがられても、諦めませんでした。この女性の信仰は、どんな信仰の特徴がありますか。
・26節,マタイ15:23/
・ルカ18:2〜5/

3 クリスチャンだから、恵みを受けるのは当然、私が願うなら、神様はすぐに応えるべきだと考えます。願い通りにならないと祈り続けません。うまく行かないと、信じているのにどうして、と不満を言います。何か気に入らないことがあれば、簡単に背を向けるのです。まさに、パリサイ人の信仰のようですが、私たちは、どうでしょうか。



4 この女性の願いに対するイエス様の態度をみましょう。あわれんでくださいと叫んでも、しばらくは一言もお答えになりません。やっと口を開いたら、何と言われたのでしょう。例えで言われたことは、女性の願いに対して、どのような答えと受け止められますか。
・マタイ15:24/
・27節/

5 「子ども」とはユダヤ人のことで、「小犬」とはこの女性のような異邦人のことです。実際に誇り高い神の民ユダヤ人の中には、自分たちは神に選ばれた民だから、神の子どものように神の恵みを当然に受けるべきだと言い、異邦人を野良犬呼ばわりする人々がいました。皆さんだったら、どんな気持ちになりますか。この肉のプライドが傷付いて憤慨したり、拒絶されたと思って悲しんだことがありますか。



6 この女性には、御言葉を理解する信仰がありました。イエス様への確信がありました。心を痛めながら、涙を流しながら、イエス様の言われたことについて、思い巡らしました。そして、イエス様に返答します。何と言いましたか。どんな信仰をあらわしていますか。
・28節/


7 女性の返答は、驚くべき、確信のあるへりくだった信仰告白です。一方、形式的な信仰をもって、肉のプライドの高かったパリサイ人は、食卓でパンを食べ散らかす子どものようです。愛される恵みを覚えません。子どもとして大切にされて当然だとおごります。自分の言うことを聞けとわがままです。小犬のような私たちのために、イエス様は、どれほどの犠牲を払われましたか。イエス様を信じた者は、どのようになりますか。
・Tペテロ3:18/
・ヨハネ1:12/

8 イエス様は、この女性の見事な返答を聞いて驚かれました。どんなことを言われましたか。女性の願いに対して何をしてくださいましたか。
・29〜30節/
・マタイ15:28/

9 はじめイエス様は、この女性が頼んでも黙っていました。イエス様の返答は、女性の求めを拒否しているかのようでした。私たちも、家族のこと、仕事のこと、人間関係のこと、健康のことなどについて悩み、苦しみます。なぜこうなのですか。どうして問題が続くのですか。いつまで祈りに答えてくれないのですか。そう言うでしょう。でも、この女性は、主が沈黙し、拒否しているように見える時でも、信仰をもって主に拠り頼み続けました。この信仰を学んで、あなたは、どうしますか。
・ルカ18:7〜8/

「命の実を刈り取ろう」

 ある人々は、神様を都合よく考えて、呼べばすぐに出張してくれるサービスマンのように思っているかもしれません。神様は、要求に仕える便利屋ではなく、子どもに食事を与える親のようなお方です。そのために、御子まで惜しまれませんでした。ご自分の御子を十字架に渡されたお方が、何を惜しまれるのでしょうか。イエス様を信じて救われた者は誰でも、神の子どもにしていただけます。誰でも、神の食卓に座ることができます。与えられた適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。マルコ7:28。

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