小グループで聖書を学ぶ
33 開かれ、解かれる人生(マルコ7:31〜37)

「心の門を開いて」

 多くの人々が、何かに閉じ込められて、縛られて生きているようです。部屋のような所に閉じ込められているのではなくて、目に見えない何かに心が閉じ込められ、縛られているのです。現実の難しい問題に閉じ込められ、縛られているのです。今日の箇所に登場する耳が聞こえず、口のきけない人を通して、開かれて、解かれて行く人生を教えてくれます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 イエス様たちが、ガリラヤ湖東岸にある異邦人のデカポリス地方に来られました。人々は、イエス様のところにどんな人を連れて来て、癒しを願いましたか。この人がどんな人生を送って来たと想像できますか。
・31〜32節/


2 人々の中で暮らすには、コミュニケーションが必要です。聞くことも話すこともできない苦痛の中で生きているこの人の生活は、辛くて苦しい閉じ込められた人生のようです。耳が聞こえて、口がきけたとしても、何かの事情で人々とのコミュニケーションができず、ある人々と関わりが持てない場合もあります。そのときは、心はどんなふうになりますか。経験したことがありますか。



3 イエス様は、罪に囚われて、閉じ込められている人々のたましいを解放するために世に来られました。それで、人々は、自分達の地方にイエス様が来たので、会いに来ました。ところが、この人は、その障害のために、イエス様の噂を聞くことができません。求めることもできません。どうして来ることができたのですか。そこから分かることは、私たちがどうする必要があるということですか。
・32節/
・ヨハネ1:45〜46/

4 この人は、その障害のために、連れて来られるまでまったくの受身であり、癒してもらう意思もなかったのでしょう。なぜ、イエス様は、群集からこの人を連れ出されたのでしょう。どうして、この人の耳や口に触れられたのですか。この人は、そうされることでどんなことを感じたと考えられますか。
・33節/
・マタイ11:28/

5 この人は、イエス様による深い個人的なふれあいを通して、イエス様の愛を知り、イエス様への信頼を持つようになったでしょう。自分の耳や口に触れられることで、聞こえない耳やもつれた舌に何か驚くべきことが起こりそうだ。そんな期待感を持ったのではないでしょうか。イエス様は、この人の耳と口に触れた後、どんな様子で何と言われましたか。
・34節/


6 「深く嘆息して」というくらい、この人の痛みを自分の痛みとして共感され、耳が聞こえず、口のきけない人の痛みをご自分の痛みと感じられたのです。事実、イエス様は、罪に囚われ、縛られていた私たちのために十字架にかかり、苦しまれました。私たちが、病気や患難で痛みを感じる時、このイエス様を覚えるなら、どうなりますか。
・イザヤ53:5/


7 何かのために、人々の心が閉じられ、耳が閉じられ、口が縛られています。どんなに辛く悲しいことでしょう。自分では開くことができません。この耳が聞こえず口のきけない人にイエス様はどうしてくださいましたか。
・35〜36節/


8 イエス様が「エパタ、開け」と言われた時、この人の耳が開き、はっきりと話せるようになるだけでなく、新しい人生の道が開かれました。主が「エパタ、開け」と言われるのを聞くならば、私たちの閉じられていた心が開き、耳や口が開かれ、新しい人生の道が開かれます。あなたは、これを知ってどうしますか。
・Uコリント5:17/
・Tペテロ1:23/

9 イエス様は、繰り返し「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい」と言われました。自分の肉の思いで耳を閉じ、口をふさいでいませんか。御霊があなたに言われることを聞いてください。「諸教会」に自分の名前を入れて読んでみましょう。どんなことを感じますか。何か思うことがありますか。
・黙示録2:29/

「命の実を刈り取ろう」

 今日この時間、私たちも、「エパタ、開け」の奇跡を体験しましょう。エパタと言われた主の言葉を聞きましょう。閉じられた心が開かれたら、耳が開かれ御言葉を聞くことができます。もつれた心が解かれれば、口のもつれが解かれて信仰を告白することができます。癒しへと開かれます。仕事や学びの前進へ開かれます。問題解決の道が開かれます。リバイバルへ開かれます。導きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。

戻る