小グループで聖書を学ぶ

42 小さい者に躓きを与えない(マルコ9:42〜50)

「心の門を開いて」

 イエス様の弟子たちが、互いに誰が一番偉いかと争ったり、高慢と特権意識をあらわにしたりしていました。イエス様は、そのような弟子たちの姿勢が、どれほど危険なものになるのかを警告してくださり、健全な信仰生活の姿を勧めてくださいました。躓きというキーワードで始まります。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 弟子たち同士で誰が一番かと争ったり、高慢になって人を退けたりしていたら、早晩問題が起こることになるでしょう。そこで、イエス様は、どんなことを言われましたか。何が起こることで、そんなに問題になるというのですか。
・42節/
・マタイ18:7/

2 小さい者とは、弟子たちのことを言っていますが、私たちの周りの人たち、家族や地域の人、職場や学校の人にも適用してもいいでしょう。私たちを通して信仰を知る人々だからです。小さい者を躓かせる者は大きな石臼を首につけて投げ込めとまで言っているのは、なぜですか。どんなことが人を躓かせるのでしょう。躓かせることが、どれだけ大きな影響をもたらすのか、思うところを分かち合ってみましょう。



3 人は躓くと簡単に傷を受けます。問題は、傷を受けるに留まらないということです。躓けば、天国も、救いも嫌になるのです。だから、イエス様は、このように大げさに言われたのです。一度躓くと、5年10年続き、数十年難しいこともあります。誰かを躓かせてしまったかもしれないということが何かありますか。



4 躓きを与え続けるとどうなりますか。家庭や人間関係の混乱に留まらず、永遠の苦しみに投げ込まれてしまうので、どうしなさいと言われましたか。そうしないと、どうなると警告していますか。
・43〜48節/


5 この通りになれば、世の中は手足目がない人だらけになります。もちろんそんなことを言われたのではなく、「躓かせる」という動詞には、「罪を引き起こす」という意味もあります。罪を引き起こす元となるなら、それを切り捨ててしまえと言われたのです。罪の根を除いてしまいなさいということです。私たちの罪は、どうすれば、なくなりますか。
・使徒2:38/
・コロサイ1:14/

6 私たちは、目で見ることで、欲や罪の誘惑を受けます。目で見て生じた悪を行うために足で行動します。そして、手で罪を実行することになります。でも、手や足よりも先に動き、人を躓かせて、心に傷を与える器官があります。それは、何ですか。悪を出さないためには、どうするようにと教えられていますか。
・ヤコブ3:8〜10/
・ローマ15:1〜2/

7 イエス様は、小さい者を躓かせないために、積極的な勧めをしておられます。用いられている比喩の意味は何ですか。
・49〜50節/


8 塩は、食べ物を腐らないようにしたり、味を出したり、とても重要な働きをします。それでも、塩は、大抵その中に溶け込んで目立ちません。まさに、クリスチャンの生き方そのものではないでしょうか。地の塩として世を悪の腐敗から守る存在であり、人々の生活に恵みの味を出し、人々の間に溶け込んで仕えるのです。私は、周りの人々の中で塩のような存在だろうか、と振り返ってみましょう。
・マタイ5:13/


9 イエス様は、最後の部分で、「互いに和合しなさい」と命じておられますが、十字架によって和解と平和をもたらしてくださいました。それで、イエス様は、信じて救われた私たちに和解のつとめを与えてくださいました。そのために、和解のことばを私たちにゆだねてくださいました。そのことを知って、どう思いますか。まず、どんなことをしようと導かれますか。
・Uコリント5:18〜19/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様は、私たちが内面に塩の特性を持って、人々の中で役割を果たしなさいと言われたのです。塩気を失わないようにしましょう。そうすれば、家族や友人の中で、職場や学校で、溶け込んだ塩として、目立たなくても、その中で欠かせない存在となるでしょう。悪口雑言、ぞんざいな言葉で小さい者を躓かせるのではなく、私たちのことばがいつも親切で、塩味のきいたものにすれば、小さい者に対する答え方が分かります。まず、親切で、塩味のきいた言葉から始めましょう。適用のために互いに祈りましょう。コロサイ4:6。

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