小グループで聖書を学ぶ
子どものようにならなければ(マタイ18:1〜6)

「心の門を開いて」

 子どもというと、どう教育しようか、どう躾けようかということがすぐに思い浮かぶと思います。でも、今日の箇所は、子どもに学ぶように教えています。イエス様がなぜ子どもに学ぶように言われたのか、どのようなことを学ぶのかを知りたいと思います。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 弟子たちの間に一つの問題が起きていました。この問題は、何度も福音書に取り上げられるほど、いつも起きていた問題です。この問題について、イエス様に何と質問していますか。
・ルカ9:46, 22:24/
・1節/

2 このような姿は他人事ではありません。私たちが生きている社会は、比較と競走の社会です。弟子たちは、天国では誰が一番偉いかと質問するほど、比較と競走の価値観に囚われていました。イエス様は、弟子たちの質問に答える前に、どんな行動を取っておられますか。それは、何を意味していると思いますか。
・2節/


3 当時の社会は、子どもに対して隅にいればいい存在としていたのですが、イエス様が子どもを真ん中に立てたということは、社会で子どもは中心に置かれるべきだということです。小さな子どもを真ん中に立たせて、イエス様は何と答えられたのですか。弟子たちの質問とイエス様の答えを比べて、違いは何ですか。違いには、どんな意味がありますか。
・3節/


4 向きを変えてとは、悔い改めてということです。子どものようになるには、心の向きを変える決心が必要だということです。では、子どもの何が天国に入れる条件となっているのでしょうか。この条件について、説明してみてください。他にも考えられる条件があれば、挙げてみましょう。
・4節/


5 イエス様は、私たちが天国に入るために謙遜を求められました。高慢な人は、自分の弱さを隠し、人の助けを受けません。ところが、子どもは、自分の弱さをそのままあらわし、助けを求め、頼ることを知っています。素直に神様を信じて、頼ります。このような謙虚さと単純さが、子どもたちの素晴らしいところです。天国へ入るために、どんなことを子どもから学べますか。学んで、どうしようと思いますか。



6 ある人は、「子どものようにならなければ」と言われても、いくら努力したって大人は子どもになれない、子どもになるには、生まれ変わるしかないじゃないかと思いました。そこで、驚くべき真理に気付きました。どんなことに気付いたのですか。
・ヨハネ3:3/
・Tペテロ1:3,ヨハネ1:12/

7 イエス様の十字架を信じた人は、罪赦され、新しい命をいただきます。新しい人に生まれ、神の子どもとされます。私たちは、霊的な子どもです。新しく信じた人の中には、子どものように純粋な人がいます。純粋な信仰で、神様の恵みに感激しながら生きます。喜んで教会に来て、賛美しては涙を流し、祈っては感謝します。イエス様は、天国人である子どもについて、どうするように言われていますか。その意味は何ですか。
・5節/
・ローマ14:3,15:7/(参考)

8 子どもは大人の思うようには行かない場合もあるでしょう。大人の手を煩わすことも多いでしょう。しかし、イエス様が、ご自分に免じて受け入れてほしいと言われたのです。そう言われれば、受け入れないわけにはいきません。イエス様は、子どもについて範囲を広げて、どんなことを命じていますか。どうしてこれほど厳しく戒められたのでしょうか。
・6節/
・マタイ18:7/

9 どんなことが小さい人を躓かせるのでしょう。罵倒され非難されることで躓くでしょう。ぞんざいな扱いや嘲笑でも躓くでしょう。無視されたり、目を留められなくも躓くでしょう。躓くと簡単に傷を受けます。問題は、傷を受けるに留まらないことです。躓けば、天国も、救いも嫌になります。子どもや小さい者に躓きを与えないようにするためには、どうしたらよいですか。
・ローマ15:1,コロサイ4:6/(参考)
・マタイ18:10a/(参考)

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは天国に入りたいです。天国に入るには、子どものようにならなければなりません。子どものような心を持つのです。子どもの心を持てば、子どもの心も理解できるでしょう。イエス様のゆえに子どもを小さい者を受け入れましょう。私たち一人一人信仰的に子どものようになって、天国に入ることを願います。今日の学びで与えられた気付きや導きを分かち合い、互いのために祈りましょう。マタイ18:3。

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