小グループで聖書を学ぶ

1.受けるよりも与える方が幸い(マタイ2:1〜12)

「心の門を開いて」
 
 私たちは、何のために生きているのでしょうか。何のために生まれて来たのでしょうか。普段は考えません。大きな災害を知った時、病気や事故に出会った時、私たちは考えるようになります。そして、救い主イエス様の誕生を祝うクリスマスの時、私たちはこのことに思いを馳せなければなりません。

「御言葉の種を蒔こう」

1 クリスマスというと、プレゼントですね。ここでは、救い主としてお生まれになったイエス様にプレゼントもってやって来た人々について記されています。それは、イスラエル人でもない近隣の民族でもない人たちでした。どんな人たちですか。
・1-2節/


2 この「博士」と訳されている「マゴス」というギリシャ語ですが、これがマジックという英語の語源です。彼らは、占星術師というよりは、その当時最も優れた天文学者でした。そして、贈り物をもって旅することができるくらい経済的に豊かな人たちでした。そんな彼らが、どうしてイエス様を捜し求めて礼拝に来たのでしょうか。どう思いますか。(参考/伝道者2:11,23)


3 彼らは、学問や経済的豊かさはあっても、心まで満たされていませんでした。自分がなぜ生まれたのか、どうやって生きていくべきなのかについて考えていたと思われます。博士たちは、星を観察して行くうちに、星や天地を造られたお方に思いを馳せ、星が人の運命を決めるのではなく、神様が人に命を与え導かれる、神様に生かされることこそ、人の生きる道だと思うようになったのでしょう。自分の置かれている立場や環境を通して、どのように神様を思い、イエス様に導かれますか。



4 東方の博士たちは、その星を見て救い主の来られたことを知って、救い主を礼拝するために、遠い所から旅をしてやって来ました。これが、重要なことです。何のために生まれて来たのか、何のために生きるのかということを知るためにどうしますか。知ったならば、どうしますか。

5 降臨されたイエス様を探し出すことができた博士たちは、イエス様のところに来たとき、何をしましたか。それは、博士たちのどんな姿勢、思いのあらわれですか。
・11節/


6 博士たちのささげもの一つ一つが、イエス様の働きに相応しいものでした。「黄金」は王にふさわしい贈り物です。イエス様は、人々の「王としてお生まれになった方」です。「乳香」は祭司への贈り物です。礼拝がささげられる時に用いられました。「没薬」は死者への贈り物です。イエス様ご自身が、私たちのために犠牲のいけにえとなられて、私たちの罪の赦しと天国への命をとりなしてくださいました。自分の救い主と信じるだけでなく、イエス様を自分の人生の王として迎え、仕えていますか。



7 何のために生まれて来たのか、何のために生きるのかということを考えるなら、イエス様が何のために来られたか、について知らなければなりません。イエス様ご自身は、ご自分が何のために来られたと言われましたか。
・マルコ10:45/


8 人は何かを得ることばかりを考えますが、彼らは、贈り物をささげに来たのです。いわば、人生の旅をして救い主にたどり着き、自分の人生をささげたようです。日ごろイエス様は弟子たちに何をするように言っておられましたか。
・使徒20:35/


9 バン・ダイク作の「もう一人の博士」という物語があります。4人目の博士アルタバンは、財産を贈り物に替えて、ベツレヘムへと旅立つが、人々を助けるために贈り物を使い果たし、人々のために働くうちに人生を費やし、ようやくイエス様に会えたのは、十字架の時でした。死ぬ前に、「イエス様に何もささげることができなかった。」と言った彼に、イエス様が言われたことが、下記の箇所です。これを読んで、思ったことを分かち合いましょう。
・マタイ25:40/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様は、みずからの姿を通して、なぜ生まれたのか、どう生きるのかを示されました。人に仕えること、人のために生きることが、神様から与えられた命を用いることであり、生きがいであり、命をつなぐことです。どのような立場であれ、これが、私たちの生まれて来た目的であり、生きて行く理由です。あなたは、どのように生きますか。

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