小グループで聖書を学ぶ

エルサレムに向けて進んでおられた(ルカ9:46〜56)

「心の門を開いて」
イエス様は『わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。』と教えています。主の弟子はイエス様の道を従う者です。今日の箇所から、イエス様が歩まれたエルサレムに向かう道について学び、共にその道を歩みたいと思います。

「御言葉の種を蒔きながら」

1.「議論」は論争を意味します。弟子たちが論争している内容はなんですか。ヤコブとヨハネの母親も、自分たちの息子がイエス様の右と左に座ることを望んでいたほどでした。
・46節 /
・マタイ20:20〜21 /

2.弟子たちは、イエス様の王国が設立された場合、誰が総理になり、大臣になるのかを話し合っていました。言い換えれば、誰が最も上位の地位に就くかについて話していたのです。しかし、イエス様はどうでしょうか。
・ピリピ2:6〜8 /

3.当時、子どもは社会的に低い地位にありました。神の御言葉の理解はできないとされ、重要視されない存在でした。なぜ、イエス様は、一人の子どもを自分のそばに立たせたと思いますか
・47節 /

4.教会で受け入れられない小さい存在はいません。偉い人もいません。みんなが大事な存在であり、互いに尊重し合うべき存在です。私たちがイエス様の話に耳を傾けることは当然ですが、小さな人の話にも耳を傾ける必要があります。イエス様が「あなたがた皆の中で一番小さい者が、一番偉いのです。」と言われた理由を考えてみましょう。
・48節 /

5.神様は様々な人を用いて、様々な方法で働いてくださいます。しかし、弟子たちは「私たちについて来ないから」やめさせようとしました。これは宣教活動を妨げることでした。弟子たちは、閉鎖的で、多様性を受け入れられず、自分たちだけが仲良くしていればよいとしました。そのような弟子たちを見てあなたはどう思いますか。
・49節 /

6.私たちはキリストにあって仲間であり、神の民として一つの家族です。私たちは戦っていくのではなく、互いに支え合うのです。弟子たちが戦うべき相手は誰だったでしょうか。
・エペソ6:12 /

7.ユダヤ人はサマリア人と関係が悪く、サマリアの地には入りませんでした。旅の際には遠回りする道を利用しました。しかし、イエス様はユダヤ人がサマリア人を避けるような偏見を持たず、サマリア人の村に行かれました。なぜだと思いますか。
・52節 /

8.ヤコブとヨハネは受け入れられなかったことに対して、人間的な感情にとらわれ、この町を焼き滅ぼしたいと思いました。人の思いや感情で考えることはやめなさいと,イエス様は弟子たちを叱りました。弟子たちはどうするべきでしたか。
・53〜55節 /

9.イエス様はサマリアを通過する計画を立てていたため、別の村にも行かれました。サマリア人の救いのためでした。イエス様は人々の救いのためにエルサレムに向けて進まれました。苦しいことがあっても、諦めず向かうべきことはなんですか、共に分かち合ってみましょう
・56節 /

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様がサマリアに行かれたのは、弟子たちと共に福音を伝えるためでした。拒絶されましたが別の村に行かれて、続けて神の愛を宣べ伝えました。イエス様がエルサレムに向けて進まれたのも、神の計画に従い一人でも多くの魂を救うためでした。神の計画は私たちが神と共に歩み、互いに支え合って,神を知らない人に、イエス様の救いと神の愛を伝えることです。学びを通して与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。
ヨハネ10:9〜10

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