小グループで聖書を学ぶ

2.私を導いてください(詩篇43:1〜5)

「心の門を開いて」
 
 私たちは色々な出来事に出会いながら、意気消沈したり、不安や恐れを抱いたりします。それが、続くと霊的沈滞に陥ります。今詩人は霊的沈滞病にかかっています。この沈滞の原因は、自分の力で事を成し遂げ、解決することができないことです。どうしたら癒され、回復されていくのかを学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 詩人は、困難に出会い、不安や恐れを抱き、気落ちしています。そして、42篇と同じことを自分自身に言っています。どんな表現がされていますか。それは、どれほどの意気消沈ですか。
・5節前半/


2 霊的沈滞というのは、不安や恐れが並みの段階を超えており、自分の力ではどうすることもできず、意欲も失われているという状態です。それで、自分のたましいはうなだれるほかないというのです。神の民の霊的沈滞の原因は、どんなことが考えられますか。あなたは、どんなことで霊的沈滞に陥りましたか。(参考/詩篇94:19,93:13,22:1,民数記11:14,伝道の書2:20)



3 霊的沈滞の原因は、長い間神様の御言葉を聞くことができない、聖徒の交わりが途絶えている、困難の期間が長く続くことなどです。この詩人の痛みは、自分ひとりでは到底取り去ることはできない重荷があり、困難を自分では解決できないことでした。そこで、詩人は祈りました。どう祈りましたか。
・1節/


4 「さばいてください」とは、「弁護してください」ということです。詩篇26:1。「私の訴えを取り上げ」とは、「私と争う者と争い」ということです。詩篇35:1。霊的沈滞に陥っている者は、このように神様に心の痛みと苦しみを訴えます。あなたは、このような訴える祈りをしますか。(参考/詩篇17:1)


5 霊的沈滞に陥っている時、なぜ神様に訴えることができるのですか。何を思わずに訴えるように勧めていますか。
・2節/


6 私たちが試練を受ける時、あれもこれもといたずらに動き回ると、霊的沈滞に陥ります。そのような時、自分ができることをすればいいのです。与えられた範囲内でできることに最善をつくせばいいのです。このことで、何か思うことがあれば、分かち合いましょう。



7 神様に祈り訴えるうちに、詩人の心は肝心なところへ向いて行きます。何に心が向くようになりましたか。(参考/詩篇73: 16~17)
・3節。


8 「あなたの光とまこと」とは、神様の臨在と真実です。神様に訴えるうちに、詩人の心は、神様の変わらない愛と真実さに向けられるようになりました。「神様の聖なる山、神様のお住まい」とは、神様の臨在されるところ、神殿、教会です。葛藤する心、さまよう心が神様から離れ、悪にほんろうされるままでないように、神様のところへ「私を導いてください」と祈っています。そこへ行って、どうするのですか。
・4節/


9 礼拝こそ、私たちの霊的状態を悟らせ、霊的沈滞から回復へと導いてくれるものです。言うなれば、私たちは、霊的沈滞の中から引き出され、試みや惑わしから守られて、礼拝に導かれているのです。礼拝に来られることがどんなに恵みであることでしょうか。礼拝に導かれて、どれほど癒され、どれほど喜びが回復されていることでしょうか。だから、神様を礼拝し、喜び、褒め称えるのです。そのような体験があれば、分かち合ってください。

「命の実を刈り取ろう」

 43篇の詩人は、霊的沈滞に陥ったなら、うなだれて、思い乱れていないで、神様に訴え、御許に来て礼拝することを証ししていました。5節。私たちは、イエス様の十字架を信じることによって罪と滅びから救っていただきました。神様の愛と守りを受ける子どもとされました。この信仰の恵みから来る確信が、様々な試みと困難、攻撃と迫害を克服させ、勝利を得させてくれるのです。慰めと癒しがあり、回復と成長があります。「霊的沈滞からの回復」で学んで実践したいことは何ですか。詩篇103:1-5。

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