小グループで聖書を学ぶ

3.もっと神様に拠り頼もう(詩篇44:1〜12)

「心の門を開いて」
 
 神様をよく信じている聖徒たちも、どん底のような厳しい状況に陥ることがあります。この詩人は、自分たちが敵に敗れて、奴隷として連れて行かれた時のことを記しています。私たちが試練や困難にある時にも、その意味や理由があることを、私たちに教えてくれます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 この時代、戦いが起こり、彼らは敵に敗れて捕虜となりました。捕虜となれば、自信も希望も失い、肉体的、精神的自由がなくなり、死んだようになります。そのような困難で悲惨な状況の中で、彼らはどんなことを聞くようになりましたか。
・1~3節/


2 捕虜の中のある人が、昔神様が神の民にどのような御業をしてくださったかについて聞かせてくれました。今そういうことを聞いたとわざわざ言っているということは、普通の状態のときには、聞かせることができなかったのでしょうか。平時の時には、御言葉を聞こうとしていなかったのでしょうか。まぜ今、捕虜となったような状態の中で語られ、聞くようになったのでしょうか。(参考/ピレモン1:9~12,ヨナ2:7)



3 先祖たちは何の力も持っていなかったのですが、ただ先祖たちが神様に従順になった時、神様が約束の地を得るようにしてくださいました。捕虜となっている人々はこの話を聞いて、どのような思いになりましたか。御言葉には力があります。神様の御言葉を伝えるなら、困難な状況にいる人々にどんな変化をもたらすと思いますか。
・4~6節/
・Uコリント1:8~9/

4 敗北と捕虜という悲惨な出来事が、神の民に御言葉を聞くようにさせ、神様に心を向けさせることになりました。捕虜となって売られて行く人の中にも、福音を伝える人を置き、民が御言葉を聞くようにされたのです。私たちが困難な状況に置かれることにどんな意味があるのでしょうか。
・Uコリント1:4,6/
・ピリピ1:12~13/

5 何もない平時の時には、人は自分の思いが中心になり、自分の力を過信し、神様により頼むことをせず、素直に御言葉に従うことがありません。しかし、艱難に出会い、どん底に落ちる時、神の民はただ神様だけにより頼みます。他により頼むものがなくなって初めて主だけを頼みとするのです。そうすると、どのような心境になりますか。



6 聖徒たちは、自分たちがどうしてこのように敗北し、捕虜となって引かれて来たのか、反省してみる必要があります。神の民である自分たちはどうなると思っていたのですか。しかし、実際はどうなったのですか。彼らの問題は、何でしょう。(参考/ルカ3:8~9)
・7~8節/
・9~10節/

7 戦いで敗北して捕虜となった神の民は、メッセージを聞いて、捕囚の地でも神様に一緒におられる体験をすることができまた。しかし、その後どうなりましたか。悔い改めたのに、帰国解放とならなければ、どんな思いになりますか。(参考/詩篇22:1)
・11~12節。


8 戦いに敗れて捕虜となった神の民は、あちこちの国に奴隷として売り飛ばされてしまいます。しかし、それがすべてのことの終わりではありませんでいた。奴隷となった地で主のパン種とされるからです。後のローマ時代において、帝国の支配階級の家で奴隷として働いていたのがクリスチャンでした。彼らはずるい怠け者の奴隷根性ではなく、厳しい主人の下で、主の奴隷として忠実に仕え、福音を証しする生活をしました。やがて、クリスチャンの奴隷たちから主人たちに信仰が伝わり、支配階級に信仰が広がり、帝国のキリスト教公認となって行くことになります。このような神様の御業を読んで、どんなことを思いましたか。



9 人は、病に陥ったり、挫折や失敗を経験したりしてこそ、神様の御前に立ち返り、信仰が回復され、家族や周りの人々への救霊の思いが新たにされます。どん底を経験して、信仰が新たにされた経験があれば、お分かちください。


「命の実を刈り取ろう」

 神様のあわれみは、イエス様を十字架の死からよみがえらせることによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。イエス様の御業を信じることで、罪に死んでいたような者が、新しい命に生きるようになったのです。このイエス様の救いに対して、どのようにされますか。Tペテロ1:3,エペソ2:5。

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