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5.神に立てられた人(詩篇45:1〜17)

「心の門を開いて」
 
 私たちは、家庭や社会において、何らかの立場や責任があるでしょう。それについてどう考えているでしょうか。この詩篇は、王の結婚式で読まれた詩のようです。神の民を治める王が、どのような人であるかは、神の民にとって重要なことでした。それは、私たちが責任や働きを担ってどう生きて行くについて、大切なことを教えています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 詩人は、誰について、どのような気持ちでこの詩を書いていますか。その内容は何ですか。
・1〜2節/


2 「王から優しさが流れるのは、神が王を祝福しておられるからだ」と言っています。神様が王を立ててくださったので、神様が王を祝福されるということを言っています。神様は、人々を治めさせるために、権威や栄光を世の指導者に与えておられます。そうであるならば、王や指導者は、どうしなければなりませんか。どんなことに気をつけなければなりませんか。
・ローマ4:20〜21/
・マラキ2:2/

3 王や指導者は、神様が立てられ、神様の恵みと力が注がれます。しかし、自分でその座についたように思い、思いのままに行えば、その支配はひどいものとなります。主のしもべが神様の栄光の前に膝をかがめて、主のしもべとしての役割を果たす時、限りない祝福が注がれるようになります。あなたが何らかの立場や責任を担い、また親として家庭を治めて行く時、神様から立てられているという思いを持っていますか。持っていなければ、どうなると思われますか。



4 クリスチャンは、柔和で、謙遜なので、弱い印象をもたれがちです。クリスチャン自身、そう思っている人もいます。しかし、神が立てられた王は、どうでしょうか。信仰的であっても軍事的には弱いのでしょうか。
・3~5節/

5 神に拠り頼んだ信仰の王は、王自身が驚くほど、神様に助けられ、守られました。私たちには、自分は弱い、欠けがあるという不安があります。使徒パウロの証しを見てみましょう。自分を立ててくださった神様に信頼する時、弱さや足りない部分がどのようになると告白していますか。
・Uコリント12:9~10/


6 私たちが神様に立てられた自覚をもって働き、責任を担って行くなら、神様は私たちを喜び、豊かに恵みを注いでくださいます。神様は、私たちを人々に祝福を与えるための恵みを注ぐ通路とされます。キリストの香りを放つ者とされます。しかし、私たちが信仰的でないならば、人々にどれほど悪いものが流れるかを省みなければなりません。この点について、気づかされたことが何かありますか。


7 後半には、王と結婚する娘に対して書かれていますが、王の新婦として、王妃が覚えておかなければならないことがあると言っています。それは、私たちにどんなことを教えていますか。
・9~10節/


8 王妃が王の助け手として用いられるには、神様の御言葉をよく聞き、王の言うことに耳を傾けなければなりません。信仰的でないことを吹き込んだり、罪の習慣を持ち込んだりすれば、王宮に害を及ぼし、災いが国全体に及びます。王妃も王との結婚で主のものとなり、主の家の価値観で生きるのです。王妃が神に立てられた者として振る舞い、御言葉で装われるならば、周りはどうなりますか。
・11〜12節/
・13〜15節/

9 神に立てられ王妃として仕えるならば、王も民も王妃を慕うようになり、王妃としての栄華を享受し、侍女や周りの者もその恵みを受けるようになります。王や王妃が神に立てられた者として統治して、民に神様の恵みを与え、神様の栄光をあらわして行くならば、その栄華は、どうなると言われていますか。
・16〜17節/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちが御言葉で装い、信仰の証しを飾りとするなら、周りの人々も神様の祝福と救いの恵みを享受するようになります。家族や次の世代にイエス様の救いがもたらされ、信仰が受け継がれて行くために、あなたはどうしますか。神様から立てられた者として、どのように生きますか。

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