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6.主がともにおられる幸い(詩篇46:1〜11)

「心の門を開いて」
 
 この詩篇は、エルサレムが敵に包囲されて、陥落しそうになるほどの危機の中で、神様に助けを求めて助けられた時に作られたものです。神様が助けてくださった時、聖徒たちが経験したことが記されています。艱難や憂いに出会う私たちへのメッセージです。

「御言葉の種を蒔こう」

1 危険なことが起こる時、災害が起こる時、必要なことがあります。それは、何ですか敵の攻撃を受けた時、神の民はどうしたと証ししていますか。(参考/詩篇62:8)
・1節/


2 あなたは、困難や問題に出会った時、いたずらに動き回ったり、闇雲に戦ったりしていませんか。いつもその事ばかり思い、悩み、憂いに沈むことはありませんでしたか。そして、倦み疲れ、絶望し、自分を追い詰めてしまうことがなかったですか。



3 私たちが問題で憂い、苦しむとき、まず神様のもとに避難することを考え、神様の御前に身を置いてみなさい、というのが私たちへのメッセージです。艱難や苦しみに出会った時、真っ先に神様を避け所とした経験がありますか。神様のどのような取り扱いを受けましたか。(参考/T列王19:3-5,イザヤ28:12)



4 神様のみもとに避難した神の民が出会った苦難は、どのようなものだと表現されていますか。なぜそのような時も恐れないと言えるのですか。引用箇所も見てみましょう。
・2-3節/
・U列王6:14-17

5 私たちの救い主イエス様は、私たちのために十字架にかかられ、犠牲となられました。私たちが苦難に出会った時の避け所、避難所について、イエス様は何と言われましたか。
・ヨハネ10:9/
・マタイ11:28/
6 「苦しむとき、そこにある助け」と言うのですから、私たちも艱難に会うことがあり、危機に陥ることがあるということです。それは、神様が私の助けとなってくださる機会です。信仰を持って出て行くならば、危機は幸いに変えられます。私たちが神様を避け所とする時、受ける幸いがいくつか語られています。どんな幸い、恵みですか。
・4節/
・5節/
・8-9節/

7 主を避け所とすると、渇いたたましいが潤わされ、傷ついた心が癒されます。問題を信仰で受け止める人は、祈りの中で揺るがない心を求め、心が安らかにされます。神様に避難すれば、私たちを不毛な戦いから退かせて、平和を与えてくださいます。艱難の時、主を避け所したあなたが与えられた幸いは、どんなことでしたか。



8 11節の「やめよ」というところは、「静まれ、力を捨てよ」とも訳されます。「あなたがたは、静かにしていなさい」と神様が言われます。なぜ、そう言われるのですか。神の民がエジプトを出た時、前には海、後ろにはエジプトの軍隊が迫り、民は一斉にモーセと神様に文句を言いました。そのような状況の中で、神様は「黙って、静かにしていなさい」と言われました。なぜでしょう。
・11節/
・出エジプト14:10-11,14-16/

9 時々神様は、私たちにもそのように語りかける機会があります。「やめよ、静かにしていなさい」と言われるのは、神様が私たちのために事を行われるからです。もうすでに神様は準備しておられるという意味です。私たちは、いたずらに騒ぎ過ぎ、しゃべり過ぎてはいないでしょうか。静かに神様の御声を聴き、神様の御業をみるべきです。このことについて思うことがありますか。


「命の実を刈り取ろう」

 この詩篇で繰り返され、強調されていることは、主を避け所する者に「万軍の主はわれらとともにおられる」と言われる励ましです。私たちの救い主イエス様は、私たちとともにおられ、私たちを助けてくださるお方です。様々のことで心揺れ動き、右往左往し、苦しむ私たちが、御前にでれば、どんなに大きな励まし、平安を与えられることでしょうか。あなたは、この恵みにどう答えますか。
・7,11節/
・ヨハネ14:16-17, マタイ1:23/

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