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8.堅固な城、堅固な信仰(詩篇48:1〜14)

「心の門を開いて」
 
 桜の咲く季節、城跡は一段と美しいです。この詩篇も、エルサレム城の美しさと堅固さがほめたたえられています。どうしてこのエルサレムが美しく、堅固だったのでしょうか。この賛美を通して、私たちの信仰がどうあるべきか、大切なことが教えられています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 そのエルサレムは、何と言われていますか。
・1-3節/


2 実際のエルサレムは、他の大きな国の都と比べたら、とても小さく弱い力城でした。なぜ、麗しく堅固な都と言われているのですか。
・イザヤ31:5/
・Tサムエル2:10/

3 全世界を造られ、治めておられる神が、この小さいエルサレムを守られたので、「大いなるお方」と賛美されました。表から見れば、見るべき価値がなく、弱いエルサレムでした。しかし、麗しく堅固に見えるのは、内側に理由があります。それは何ですか。
・イザヤ60:22/
・ヨエル3:10/

4 城の中では人々は同等で、差別がなく、主の御前にはすべての人が神の家族でした。人々の価値観、判断のよりどころは御言葉だったので、主の前に、人々は誠実で正直であろうとしました。他の古代の都市は、正しい価値観はなく、貪欲や罪が増長され、現代よりも酷いものでした。教会こそ、「シオンの山の都」です。私たちも平凡な人々として教会に集められています。麗しく、堅固であるためには、どうあらねばなりませんか。



5 その美しい城を見ると、国々の王たちが攻撃しました。その理由は、妬みと高慢のためです。エルサレムのために王たちの悪や堕落が目立ち、心が落ち着かず、攻撃せずにはいられなかったのです。彼らがエルサレムを攻めた結果は、どうなりましたか。
・4節/
・5-7節/

6 教会も聖徒たちも、同じように守られます。神様は私たちに栄光をくださいます。どんなに霊的に沈滞していたとしても、真実な礼拝をささげて、霊的に生きるようになります。どうすれば、私たちも神様に守られ、霊的に生きられますか。
・Tヨハネ2:5,17/


7 絶頂期のエルサレムは、麗しい、喜びのある城でした。しかし、エルサレムの人々が利己心でその城を変質させる時には、弱い都市となり、妬みや争いが生じ、人々の心から希望が失われていました。教会も、クリスチャンも、御言葉の前に立つことをしなければ、本当に危険です。悔い改めることをせず、困難な状況を恨み、神様に背を向けることも危険です。ですから、敵は私たちの内にあると言えるでしょう。そのような経験がありましたか。


8 神様の民が御言葉を守るなら、神様に祝福され、敵の攻撃から守ってくださるということが起こりました。5-7節。御言葉をそのまま素直に信じる者には、神様の力が働きます。「聞いたとおりを、そのまま見た。」とは、御言葉が生きていることを強調しています。御言葉を純粋に信じることをせず、素直に聞き従わないとどうなりますか。
・8節/


9 自分たちを祝福して、守ってくださった神様を賛美しています。「シオンを巡り歩け、やぐらを数えよ」とは、どういう意味ですか。なぜ、そのようにさせているのですか。
・10-14節/

「命の実を刈り取ろう」

 今までエルサレムが守られたのは、やぐらの数や城壁の高さではありません。神様の義と愛の力が守ってくださったのです。私たちが守られたのも、私たちの力ではありません。御言葉を信頼して、御言葉に聞き従うなら、守られ、祝福を受けます。エルサレムという町は、外見上普通の小さな弱い町ですが、その中に神様の御言葉が入っていれば、神様に守られた堅固な美しい町となりました。私たちは、どんな者なのでしょうか。イエス様によって救われたゆえに、どうされたのでしょうか。そのことを確かめましょう。そして、今日の学びから受けた導きを分かち合いましょう。
・Tコリント1:27-31/

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