小グループで聖書を学ぶ

1.あなたの人生を考えてみなさい(詩篇49:1〜20)

「心の門を開いて」
 
 私たちは、日ごろ人生について考えてみることがあるでしょうか。どんな思いで生きているでしょうか。人は神様の似姿に造られた尊い存在なのに、動物のように生きている人々もいます。生き方で、人生が違って来ます。どんな価値観で人生を生きるのか、それが問われています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 神様は、自分の人生をよく考えないで、盲目的に生きている人々に対して、どうするように言われていますか。
・1〜4節/
・ハガイ1:5/

2 大抵の人々は、人生について考えることなどなく生活しています。しかし、ときおり起きる事件を通して、私たちは人生の根本的なことへ思いを向けさせられます。大過なく過ごせればいいと考えても、人は誰でも、苦闘を経験し、もがくことがあります。神様はこの詩を通して、「人生を考えてみなさい、聖書から聞きなさい」と、招いておられるのです。あなたは、自分の人生の意味や根本的なことを考えたことがありますか。どんな人生観を持っていましたか。



3 実際人が人生において最も頼りとするのは、多くの財産があることです。世の人々の人生観は、根本に富を置き、財産を築くことを人生の目的とします。そのような財産を信頼する者たちは、神様に信頼する神の民をどうするのでしょうか。それに対して、神様に信頼する者は、どう反応していますか。あなたは、どんな反応をしましたか。
・5〜6節/


4 財産を信頼する者たちは、財産を多く得ることができれば、人生何でもできると思っています。そして、富を誇る者は、神様に信頼して生きる者を侮ります。しかし、財産の力でできないことがあります。富で買うことができないものがあります。それは、何ですか。
・7~9節/

5 どんなに財産を持っている人でも、死を避けることはできません。財産で死後の裁きを免れることはできません。人生の価値は大変尊いものです。全財産を投げ出しても、自分の命を救うことはできません。人は誰でも、死にいたります。それにもかかわらず、愚かな人々は、死について考えようとしないのです。そして、人の死を見ても、自分は永遠に生きられるかのように富を握り締めるのです。彼らの死後、財産はどうなるのですか。
・10〜11節/
・ルカ12:16〜20/

6 私たちは、信仰を残すことができます。私たちが人々を愛した愛は人々の心に残ります。私たちは、本来神様に造られたものとしての尊厳があるはずです。しかし、富を人生の目的とし、財産に命をかけて生きて、尊厳を失った人は、何に等しくなると言っていますか。それは、人のどのような状態をたとえているのでしょうか。
・12,20節/
・箴言29:22,エペソ4:31

7 「兄弟を買い戻すことはできない。自分の身代金を神に払うことはできない。たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない」と言っていましたが、神様により頼む者には、神様は何を約束されていますか。そのために、どうしてくださいましたか。
・15節/
・マタイ20:28,Tテモテ2:6/

8 貧しいから大丈夫だということもありません。貧しい人たちも、金持ちがよく生きているのを見て、心が傷つき、妬み、羨みます。貪欲に富を求めて欲を満足させて生きる方がいい、と考え違いをするようになります。それで、どう諭していますか。あなたは、思い違いをすることはありませんでしたか。
・16〜17節/
・ルカ12:21/

「命の実を刈り取ろう」

 大切なことは、この世で多くのものを得ることではなく、イエス様を信じて永遠の命をいだだき、ただ神様により頼んで平安に生きて、天国に入ることです。神様だけをより頼んで生きるしかないことは、不幸なのではありません。そのように生きることが幸いなのです。私たちは、我欲に振り回されて動物のように生きるのでしょうか。尊い存在として自画像を回復して、神様の御前に生きるのでしょうか。後者を享受できることは、大きな幸いです。あなたのために贖いの代価を支払ってくださったイエス様の犠牲にどのように応えて生きますか。
・Tヨハネ5:11〜13/
・Tコリント6:20/

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