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63.きよい心を造り、あたらしくしてください(詩篇51:10〜19)

「心の門を開いて」
 
 何かを感謝する時、成功したことだけでなく、赦されたこと、回復されたことを感謝することが大事です。よくもここまで導かれた、神様が忍耐してくださった、勝手に歩み、背を向けていたこともあったのに、あわれんで赦してくださったと。私たちが神様の赦しと守りと恵みを覚えてすることは、何でしょう。悔い改めの詩篇の後半、ダビデの祈りが教えてくれます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 ダビデの悔い改めの詩篇と言われるこの詩篇は、悔い改め、罪の赦しを訴えることだけで終わりではありませんでした。神様のあわれみと罪の赦しを受ける後のことを懇願しています。罪の赦しを受ける後、ダビデはどんなことを願っていますか。
・10節/


2 彼が罪を犯して、隠していた間、彼の心は、ひどく汚れ、荒廃していました。そのために、新しい心を造ってください、と懇願したのです。悔い改めたなら、新しい心、新しい信仰の成長がなければなりません。あなたも、ダビデのように求めていますか。下記の引用箇所も読んでみましょう。
・Uコリント5:17/
・ガラテヤ6:15/

3 ダビデは、心を新しくしてくださいと願った次に、何を新しくしてくださいと祈っていますか。なぜ、そのようにお願いするのでしょうか。
・11〜12節/
・使徒2:38/

4 イエス様を信じた者には、聖霊が内住してくださっていますが、罪を犯して、神様から離れてしまうために、聖霊は、あたかもおられなくなったかのようになります。そうして、御霊の原理でなく、罪の原理で生きるようになってしまうのです。神様の御力が注がれなくなり、心から喜びや平安がなくなってしまうので、心の病にもなってしまいます。聖霊様が内住されていないように感じたことはありますか。それは、どんな時でしたか。



5 悔い改めて、再び神様の恵みを回復した後、その人のすべきことは、何でしょう。ダビデは、新しい心とされ、御霊の働きが回復されて後、どうしたいと願っていましたか。
・13節/


6 悔い改めて、赦しの恵みを経験した後、ダビデが気づいたことは、自分だけのことで終わりではいけないということでした。滅ぶしかないような罪を犯した自分を赦して、新しい命に生きるようにしてくださった神様の慈愛を経験したダビデは、それを知らない人々に証ししないではいられなかったのです。失敗から立ち上がった人、罪と滅びから救い出された人、空しさから解放された人が、その証しを通して主の救いと癒しに導くことができます。あなたを必要としている人々が周りにいます。誰ですか。どうしますか。



7 大きな罪を重ねたダビデは、一度霊的には死んでいたような者です。放蕩息子が帰って来た時、父親は「この息子は、死んでいたのが生き返ったのだから」と言って、喜んで、宴会をしました。ルカ15:24。私たちも、イエス様の救いに与って、滅びを免れ、罪の赦しをと新しい命を与えられたのですから、新しい人生を与えられたのです。どれほど感謝なことでしょう。赦しと恵みを覚えてダビデがしようとしたことは、何ですか。
・14〜15節/


8 赦しと恵みを覚えてすることは、神への感謝と賛美です。神様が喜んでくださるいけにえとは何だと言っていますか。私たちは、どんな礼拝をしなければなりませんか。
・16〜17節/


9 最後に、このような霊的癒しをエルサレムにしてください、と祈っています。神様の臨在するシオンとは、人の罪を癒すところ、礼拝です。王の罪のために、エルサレムは霊的に病んでいたからです。今再び人々の信仰が養われ、生きるところとしてくださいと祈っているのです。私たちの救いや霊的造り変えは、どんな影響を持つと思いますか。
・18〜19節/

「命の実を刈り取ろう」

 私たち自身が、悔い改めて罪の赦しを得てこそ、イエス様の救いと癒しを求めて来る人々を導き、迎えることができます。まず、私たち自身の心が聖められ、新しく造り変えられなければなりません。私たちのためには、神の御子イエス様が「義のいけにえ」となられて、ご自身をささげられました。私たちは、この恵みにどう応えて生きて生きますか。ヘブル9:26, 13:15。

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