小グループで聖書を学ぶ

64.逃れるところもなく(詩篇54:1〜7)

「心の門を開いて」
 
 人が憂鬱になり、絶望するのは、問題や艱難で行き詰り、袋小路に入っているような思いになる時です。ダビデには、逃れる町はなくなり、荒野や険しい山地に隠れるしかありませんでした。表題のことは、ジフの荒野に隠れていたダビデをジフの町の人々が密告したという事件です。どこにも逃げる所はない、という追い詰められた思いがこの詩篇の背景となっています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 ジフの人々に密告され、逃げる所はどこにもない、という追い詰められた思いになり、袋小路に入っているような気持ちになった時、ダビデはどうしましたか。(参考/Tサムエル23:19〜20)
・1〜2節/


2 人が、危機の時、自分の状況を自分で判断すると、自暴自棄になって袋小路に入り込んでしまいます。しかし、ダビデは、神様に祈りました。危機の時こそ、祈ることが大事ですが、聖徒でも往々にして祈らないことがあります。どうして祈らないと思いますか。祈らない理由にどんなことが考えられますか。



3 危機の時祈らないと、自暴自棄になり、恨みでいっぱいになり、否定的な考えしか浮かばなくなります。心も体も病んでしまい、良くない行動へ向かうかもしれません。艱難に出会った時、神様につながっている人は、祈ります。ダビデの祈りの特徴は何ですか。(参考/詩篇139:23)
・3節/


4 自分で考えて計画したことを「〜してください」と祈る人が多いのではないでしょうか。しかし、ダビデの祈りは、自分の置かれた状況、自分の心情を神様に報告し、訴えています。それでこそ、神様は受け止め、動いてくださることができます。神様に、自分の置かれた状況、自分の心情を報告し、訴え祈ったことはありますか。その時、変化はありましたか。

5 ダビデを密告したのは、ダビデとは何の関係もないジフの町の人々でした。サウル王の報復を恐れたのか、サウル王に取り入ろうとしたのか、どちらにしても何の関係もない者まで敵対していたのです。「見知らぬ者が」という表現に、ダビデの苦しさがにじみ出ています。あなたも、利害関係がない人々や知らない人々から敵対され、悪く思われたことがありますか。その時、どんな心情になりましたか。



6 利害関係のない人々が、ダビデに敵対し密告するのは、「見知らぬ者たちは自分の前に神を置いていないから」と理由を述べています。自分の前に神を置いて、神様に信頼する者は、どうされますか。(参考/ルカ23:34)
・4節/


7 神様が悪い者たちに報いてくださるように求めています。これは、自分では彼らに報復しない、と言っているのと同じです。ダビデが復讐を願っているのではありません。聖書は、私たちにどんなことを求めていますか。
・5節/
・ローマ12:19〜21/

8 危機の中で祈り、神様の守りと救いを確信したダビデは、感謝の礼拝をささげています。イエス様の救いは、危機の中で私たちが体験することについて、どうしてくださいましたか。私たちの何をご存知なのですか。
・6~7節/
・イザヤ53:3〜6/

9 7節のことは、救出される将来のことを信仰の目で見て言っているようです。事実、この後ジフの荒野に隠れていたダビデにサウルの追っ手が迫るのですが、この事件の結果思いがけないことが起こります。そういうことを知って、どう思いますか。
・Tサムエル23:26〜28

「命の実を刈り取ろう」

 「神様、私は今こんな状況に置かれています。敵対する者がこのように動いています。私の心はこのようになっています。」という報告のような訴える祈りが、神様に対してとても重要です。神様が、報告をもとに働いてくださるだけではありません。報告することで、私たち自身、自分の状況を霊的に受け止め、神様の取り扱いをキャッチする準備ができ、神様の応答に気づくようになります。詩篇54篇の危機の時にささげる祈りを通して、特に学んだことは何ですか。あなたの信仰生活はどう変わりますか。

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