小グループで聖書を学ぶ

66.人が何をなしえよう(詩篇56:1〜13)

「心の門を開いて」
 
 この詩篇の背景には、サウル王から追われたダビデが、ペリシテ人の地に逃れたという事件があります。Tサムエル21:10〜14。ところが、逃げ込んだ所で、ダビデは殺されそうになります。サウル王から逃れてペリシテの地に行ったのに、なぜこんな目にと考え、祈りました。私たちも自分で色々考えて行動したのに、どうしてこんな目にという経験します。この詩篇から学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 ペリシテのガテ(ペリシテを構成する都市国家の一つ)に亡命して来たダビデは、警戒したガテの王の家来たちによって、殺害されそうになりました。その時どんな祈りをしていますか。どんな状況ですか。ダビデの心情はどうですか。
・1〜2節/


2 ダビデは、考えて行動した後、予想外の結果に動揺しています。ダビデにしてみれば、外国ならばサウルも追って来られないだろう、と考えたわけです。それに、用兵を必要としているガテの王に自分と部下たちを売り込みました。自分なりによく考え、行動したのに、こんなはずではなかったというような状況に陥ったことはありませんか。



3 私たちは、自分の考えを神様のご計画の上に置きがちです。自分で考えて、「〜してください」とだけ祈ります。そうならないと、「神様は聞いてくれない」と勝手に失望し、ますます別なことを考え、神様から離れてしまうことがあります。これは、大変危険なことです。自分の思いでは、「もうこれ以上ここでは生きられない」と考えるとき、神様はその人にどんなことを望んでおられるのでしょうか。(参考/T列王3:10)



4 ガテの王アキシュの家来は、すぐにダビデを殺そうと騒ぎます(5〜6節)。ダビデは、熊から逃れて虎の檻に入っているような状態です。それでも絶望しないでいられたのは、どんな祈りをささげるようになったからですか。
・3〜4節/

5 ダビデは、自分なりの安心を得ようとペリシテに逃れて来たのですが、ここでもっと大きな危機に陥りました。そのような状況に陥ったら、あなたはどちらの態度をとりますか。「また、思うようにならなかった。神様は私を助けてくれない」と神様を信頼しないのか、「私の浅薄な考えでこんな状態になってしまいました。神様、信頼します。あなたは、私を助けてくださると信じます」と神様を信頼するのか。



6 ダビデは、サウル王から追われて何日も何日も逃げ回りました。そして、悩み苦しみました。眠られぬ夜を過ごし、多くの涙を流しました。神様は、これらの悩みや苦しみには意味があると教えています。このことについて、神様は何をされるというのですか。何のためにそうされるのでしょうか。(参考/詩篇90:15)
・8節/


7 神様は、聖徒たちが追われて逃げ回った日数を数えておられます。神様は聖徒たちが悩んだ日数を数えておられます。聖徒たちが流した涙の量を量っておられます。その理由は、神様がそれらのすべてに報いてくださるためなのです。このような神様のあわれみと慈愛を知って、どう思いましたか。


8 私たちが信仰のために受ける苦難について、神様が責任をとってくださり、栄光で報いてくださいます。聖徒自身が、信仰で苦難を受け止めるのか、信仰なしに受け止めるのかによって、苦難の性格が完全に違って来ます。なぜ、神様に信頼する者は、決して損ではなく、報いが大きいのでしょうか。
・ヘブル10:35, 11:6/
・9節/

9 ダビデは、御言葉の約束をつかんで賛美した時、彼の心はどうなりましたか。何と言っていますか。これを読んで、ダビデの確信の証しを聞いて、どう思いましたか。
・4節,10〜11節/

「命の実を刈り取ろう」

 もうすでに神様が死の危険から救い出してくださるという確信が与えられたので、感謝の賛美をささげ、新しいいのちで歩みますと誓っています。イエス様の救いに与っている私たちも、すでに滅びから贖い出されています。Uコリント4:8〜10。神様の御手に委ねると宣言しましょう。全き信頼は、平安をもたらします。助け出される確信で神様へ賛美したいのです。今日の学びで示されたこと、適用を分かち合いましょう。

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