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66.驚くべき反転(詩篇57:1〜11)

「心の門を開いて」
 
 神様は、神様を信頼する者をお見捨てにはなりません。神様は、私たちのために働いていてくださいます。神の民にとって絶体絶命だと見える時でも、事態は予想もしない方向へ変わって行くことがあります。この詩篇を通して、私たちの人生においても、そのような転換があるということを学びます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 この詩篇は、表題によれば、「ダビデがサウルに追われて洞窟の中に隠れていた時に」起こった事件が背景となっています。サウル王と追跡軍に追い詰められたダビデは、どんな心境になり、どんな祈りをしていますか。
・1〜2節/


2 まるで自分自身を雌鳥の羽の中に隠れるヒヨコに譬えています。イエス様は、神様が民を救おうとされたことを「めんどりがひなを翼の下にかばうように」と表現されています。神様の守りと信頼を最高に表現したのが、この「御翼の陰に身を避けます」です。あなたにとって、神様がそういうお方となっていますか。どうすれば、神様の御翼の陰に行けるのでしょうか。


3 祈るうちに平安になり、困難が解決されると確信するようになります。神様を覚える時私たちの心は落ち着いて来ますが、現実だけを見るならば、どうなりますか。ダビデの心は、神様の御翼の陰に憩っていたはずでしたが、今の心境はどうですか。
・4節/


4 4節は、現実だけを見て神様を覚えないために、どれほど不安になり、敵を恐れるようになったかを表現しています。私たちは、神様を覚える時心は落ち着いて来ますが、現実だけを見ると、心は不安定となり、失望してしまいます。私たちは、この二つの間で行ったり来たりしながら、喜んだり、霊的沈滞に陥ったりしないでしょうか。


5 ダビデにねたみを持ったサウル王が、ダビデに対して槍と矢、剣のように悪口雑言、妬み、恨みの言葉で攻撃したので、ダビデは心を痛めました。しかし、主のあわれみを求めたダビデは、驚くべき反転、転換点を見出すことになりました。それは、何ですか。
・5~6節/
・Tサムエル24:1~4/

6 ダビデをエン・ゲディの洞穴まで追い詰めたサウル王、王自身が用を足すためにその一つに入って行くと、そこは何とダビデの一行が隠れていた洞穴でした。網を仕掛けたサウルが、反対にダビデの手中に落ちたのです。驚くべき反転です。たとえどん底まで落ちても、それ以上落ちるところがない反転の時です。ちょっとした事件や状況の変化、それが私たちの人生の転換点、驚くべき反転の始まりとなることもあります。あなたが悟った転換点、反転はどんなことでしたか。


7 確かに、まだサウルがイスラエルの王ですが、ダビデは、サウル王が自分の手中に落ちたのを見て、この驚くべき反転を悟り、自分が王とされる新しい時代がもうすぐ来ると確信しました。その確信と新たな思いが、どのように表現されていますか。
・7〜8節/


8 ダビデは、朝美しい音楽で目覚めると言っています。なぜなら、もうこれ以上サウル王の追及や嘲りや侮辱を思い出して、目覚めるのではないからです。イエス様を信じて救われた人は、神様を覚えて喜びの朝を迎えることができるようになります。朝起きた時、自分を落ち込ませる事件を思い出し、自分の心を痛める中傷や侮辱の言葉を思い出しますか。それとも、神様の素晴しさと真実を賛美する音楽を聞いて目覚めますか。



9 ダビデは、自分だけでなく、イスラエルの民が人々の嘲りの声を聞いて目覚めるのでなく、神様を褒め称える賛美を聞いて目覚めることができるように賛美しています。他の人々も、恨みや嘲りの言葉を覚えて、問題の痛みを思い出して目覚めるのでなく、神様の救いの恵みに賛美にあふれて目覚める人生へと変えられてほしいと願う私たちは、何をしたらいいいですか。
・9〜11節/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちも、イエス様の救いの素晴しさを賛美し、人々に告げ知らせたいのです。不安と恐れの中にある人々に、こんな素晴しい人生があることを、主にある喜びの朝を迎えることができることを賛美し、証ししたいのです。私たちにも、驚くべき反転の瞬間があります。私たちを悩まし苦しめ涙させたものは消え、新しい朝が来ます。詩篇30:5。この詩篇の学びを通して示されたことは何ですか。導きを受けたことを分かち合いましょう。

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