小グループで聖書を学ぶ
1 主を恐れることが知恵の初め(箴言1:1〜9)

「心の門を開いて」

 私たちは、何を基準に生きているのでしょうか。イエス様を信じた者は、新しく生まれた者であり、新しく造られた者だと言われています。新しい人になることは、神様の生ける御言葉に聞き従って生きることです。箴言は、実際的教訓に満ちており、私たちの生活に祝福を与え、人生で出会う問題から救ってくれます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 箴言を開くと、「ソロモンの箴言」とあります。なぜ、箴言にソロモン王の名が冠せられたのでしょうか。ソロモンの知恵のエピソードから引用しましょう。何を願って、与えられたのですか。
・1節/
・T列王3:5〜9,12/

2 ソロモンがイスラエルの王となった時、偉大な王、父ダビデの後を継ぐのは大きな不安と重圧がありました。ソロモンは、「善悪を判断して民をさばくために聞き分ける心がなければ、誰が民を裁くことができるでしょうか」と言って、知恵の心と判断する心を与えられました。どのように生きればよいか、どう判断したらよいか分からないのに、実際に人はどう生きていますか。そのために、人々はどうなり、世はどうなりますか。
・士師記21:25/
・創世記6:5/

3 人生を歩むのに何が必要だと考えているのでしょうか。お金ですか。地位ですか。健康ですか。能力ですか。ソロモンは、「知恵の心と判断する心」を求めました。私たちも、問題多き人生を生きて行くために、仕事や学び、家庭生活や人間関係のために、知恵の心と判断する心を必要としています。箴言は、どんなことを与えてくれますか。
・2〜5節/
・/

4 箴言というと、ことわざや格言と同じものと考える人がいます。そうすると、参考にしてもしなくてもいいものになります。自分が中心に判断するということになります。しかし、イエス様を信じて救われた者は、新しく造られた者として、自分中心でなくて、神様の御心と知恵を求めて生きるようになります。何事でも根本、源が大切です。箴言の知恵の根源は何だと言っていますか。
・7節/
・詩篇111:10/

5 自分とは何か、人とは何かを知るためには、自分を造り、救ってくだった神様を知ることが根源です。ここに、人間性の回復の鍵があり、道徳の鍵があります。神を恐れることが知恵の始まりだということは、神を恐れ、御心に従うことによって考え、行動するということです。自分の考えや行動の元、根源になっているものは、主に何ですか。



6 頭の中に神を恐れることが入っていて、それによって考え、行動するということが、知恵の始まりです。神を恐れることがなくて知識だけ入れば、どのような人になるでしょうか。神を恐れることがなくて感情だけで生きる人は、問題や困難の中で、どのようにならざるを得ないでしょうか。



7 箴言の知恵で最初に登場するのが、「父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない」ということです。世の中では、親が子どもに色々教えて、しつけようとしますが、それとどう違うのですか。
・8〜9節/


8 箴言の基本は、「神を恐れることが知恵の初め」です。父の訓戒と母の教えとは、もちろん信仰から来るものであり、御言葉の適用です。もし、親の勝手な考えを教え、肉の思いや感情で躾けるとしたら、どうなると思いますか。
・エペソ6:4 /(参考)
・コロサイ3:21/(参考)

9 神の民の家庭では、御言葉が親から子へ、子から孫へ伝えられていました。昔から子どもたちに聖書を読み聞かせ、暗唱させ、御言葉の知恵を身につけさせました。国を追われて、環境が激変しても、その知恵と知識によって生きて行くことができました。「父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない」という時、何が前提となりますか。親はどうしなければなりませんか。
・Tペテロ3:2, ガラテヤ2:20/

「命の実を刈り取ろう」

 親が聖書の訓戒と教えを学んで、御言葉に生きていることがその前提となります。厳しい環境の中では、御言葉に聞き従って生活しなければ、神の民として生きて行くことができませんでした。子や孫や友人に信仰を伝えたい、幸いに生きてほしいと願うなら、私たちが本気になって御言葉に聞き従って、御言葉の適用に生きて行かなければなりません。主を恐れることが知恵の初め。この基本を取り戻して、生きる者となることを願います。導かれたことを分かち合い、祈りましょう。詩篇111:10。

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