小グループで聖書を学ぶ

2 知恵の叫び、イエス様の声(箴言1:10〜33)

「心の門を開いて」
 
 現代は、経済的、社会的不安のために、ますます道徳や倫理が廃れて来ています。老舗や大企業、役所での不正やごまかしがあまりにも多くなり、世界に比べて高いと言われた日本人の道徳観、品性も確かに下がって来ています。イエス様を信じる者が、今こそ地の塩世の光として生きて行くことが求められています。箴言の知恵の叫びを聞いて、学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 まず、消極的なところが勧められています。してはならないと繰り返し、強調されていることは、何ですか。
・10,15節/
・詩篇1:1/

2 強調しているのは、11〜14節のようなその内容ではなく、「惑わしに従ってはならない、一緒に道を歩いてはならない、彼らの道に踏み入れてはならない」ということです。子どもが悪い友だちから誘惑される場合、大人が噂話で批判や文句を聞かされる場合、そこにどんな誘惑があると思いますか。
・Tコリント15:33/(参考)
・Tテモテ5:13/(参考)

3 噂話や人を悪く言う場に着かない、そういう場を避けることが必要です。そうしないと、悪者のはかりごとに歩み、罪人の道に立つ、すなわち一緒に悪をなすことになるのです。誘惑されるそのような罪の性質のために、イエス様はどうしてくださいましたか。
・コロサイ1:21〜22/
・Tペテロ2:24/

4 次に勧められていることは、叱責を聞くことです。どんな内容ですか。それによると、今までどのようにしていたということが分かりますか。
・20〜22,24〜25節/
・29〜30節/

5 知恵の声のように、イエス様も、会堂や広場で大勢の人々に福音を語られ、人々の頑なさや弟子たちの不信仰を嘆かれ、叱責されました。私たちの状態は、どうですか。何が必要なのですか。
・マタイ11:21,23:37, マタイ17:17/
・ローマ12:2〜3/

6 人々は、私は知恵と知識がある、私は自分の考えで行く、私は自分の判断で大丈夫だと思いながら、欲に翻弄されて、罪に流されます。世では、知識や知恵のある上に立つ者が、不正や偽りを行っています。愚かな者は叱責を受け入れません。私たちは、御言葉を謙遜に聞いて、素直に従っているでしょうか。知恵の声を無視すると、どうなりますか。
・26〜28,31〜32節/


7 主は、私たちの苦しみと悩みをご存知です。問題の中にいる私たちを覚えておられます。嘆いている私たちを励ましてくださいます。知恵の声に耳を傾け、叱責を聞くと、どのようにされますか。どんな恵みや祝福がありますか。では、何が優先事項として必要なのですか。
・23,33節/
・マタイ11:15,黙示録2:7/

8 御言葉の叱責は、私たちへの愛の表現の一部です。立ち返る可能性のない者を叱責されるでしょうか。私たちは、イエス様の叱責に応える必要があります。主の御声を聞くまでは、私たちは、恐れの中にいます。心配や悲しみはなくなりません。しかし、主の御声を聞くならば、平安に導かれます。真心から悔い改めて、御言葉の叱責を聞くなら、主の恵みと祝福を豊かに受けるようになります。人の叱責や忠告も聞けるようになります。そのような体験が何かあれば、分かち合いましょう。
・Uコリント6:2/


9 主の御言葉に聞き従う者、主の叱責を感謝して受ける者は、試練や苦難を恐れる必要はありません。なぜですか。それは、イエス様が私たちのためにどうしてくださったからですか。
・ヨハネ16:33/
・Tペテロ3:18/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様の救いを信じた者には、罪の赦しと解放が宣言されています。辛い努力が求められているのではありません。イエス様の愛と赦しという救いの恵みに応えて、罪から離れ、御言葉に聞き従って行くのです。イエス様の愛と赦しが先にあります。
 神様は、神の子どもとされた私たちを祝福と平安に導くために、知恵の叫び、叱責の御言葉を与えてくださいます。私たちが忘れてならない最も大事なことは、主が語られたことはどんなことであっても、それは主の愛の表現であるということです。イエス様が私を愛しておられると思える人は、すでに救いの恵みを受けている人です。
 今日の学びを通して与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りあいましょう。Tペテロ3:10〜11。

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