小グループで聖書を学ぶ
18 人が計画を立て、主が決定される(箴言16:1〜33)

「心の門を開いて」

 事を謀るは人に在るも、事を成すは天に在り。蜀漢の軍師諸葛孔明が、魏の軍師司馬懿を谷に誘い込み、火を点けましたが、突然の豪雨で失敗しました。その時孔明は天を仰いでこの言葉を呟いたそうです。箴言にも同じような言葉がありますが、その教えるところは何でしょうか。聖書の根幹を教えています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 人は、やりたいこととやらなければならいことの狭間でもがいています。なりたい自分と現実の自分との間で葛藤しながら、様々なことで成功したいと願います。そうすると、人は何をするようになりますか。それに対して、主なる神はどうしてくださいますか。
・1節/


2 確かな計画を立て、その計画に基づいて努力します。しかし、成功に向かって走って行った結果、空しさと悲惨しかない場合もあります。努力してもならない葛藤もあります。人は多くのことを計画しますが、計画通りになるわけではありません。自分の進路や結婚、子供の出産と養育、人が生まれてから死ぬまで、計画通りするのは難しいでしょう。なぜでしょうか。
・2, 25節/
・イザヤ55:8〜9/

3 人は、いくら客観的に判断しても、その判断は主観的、自分本位にならざるを得ません。人は多くのことを計画しますが、計画通りになるわけではありません。それどころか、世の中には、私たちが納得しにくいことがたくさん起こります。世において悪いことが横行し、悪者が栄えるのを見るのは苦々しい限りです。主は、苦々しく思う私たちに何と言われましたか。
・詩篇73:2〜3,16〜17/
・4〜5節/

4 計画通りならないし、主の御心が行なわれるなら、計画しても無駄なのでしょうか。努力は空しいことなのでしょうか。私たちのすべきことは何ですか。計画がゆるがないための秘訣は何ですか。
・3節/
・詩篇37:5 /

5 世の人々が計画を立て努力するのは、自分を喜ばせ、肉の欲を満足させるためです。しかし、自分のする事や計画を主に委ねる者は、何に焦点を当てるのでしょう。自分のしようとすることを主に委ねる者は、神の方法ですべてのことを行うようになりますが、たとえ計画を立て、最善を尽くして委ねた結果が思わしくなくても、御言葉は何と言っていますか。
・7節/
・8節/

6 お祈りすることは、神様に委ねることです。私たちは、計画を立てたら、神の御心が行なわれるように祈ります。お祈りしたら、完全に委ねます。委ねた後はどうするように勧めていますか。人が心に計画を持つことに対して、主はその舌に答えを下さるのですから、神様に祈った人は、どうすべきですか。
・ローマ12:12/
・エレミヤ33:3/

7 「人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる」について、もっとはっきりと言っています。これが、聖書の教えの根幹であり、私たちの信仰の土台です。どんなことですか。
・9,33節/
・箴言19:21/

8 「人が計画を立て、主が決定される」とは、私たちがどんなに計画して努力したとしても、最後の決定権は神にあるということです。このことを、どんなに頑張っても自分の思うとおりにならないのかとがっかりするか、最後には神様が責任を取ってくださるのだと信頼するか、受け取り方で全く違って来ます。あなたは、どう思いましたか。
・Tペテロ5:7/(参考)
・詩篇127:1/(参考)

9 問題に悩み、患難に憂えるとしても、神が私のことを心配してくださるのですから、思い煩いをいっさい神にゆだねることができます。どんなに富を稼ぎ、健康であっても、土台が崩れれば、その人生は崩れてしまいます。信仰の土台は、イエス・キリストです。イエス様の十字架の救いがあってこそ、たましいが生きる人生となります。自分の人生において神の主権を受け入れる人は、どのような場合でも、希望を失うことはありません。なぜ、そう言えるのですか。
・ローマ8:31〜32/

「命の実を刈り取ろう」

 「人が計画を立て、主が決定される」とは、非常に重要な原理です。神は、私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方です。それほど恵み深い神様は、計画を委ねて信頼する聖徒たちを守り導いてくださらないはずはありません。すべてのことが神の主権に属することを知っている者は、謙虚に神を信頼して、御言葉通り生きようとします。今日の学びで導かれた適用を分かち合いましょう。

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