小グループで聖書を学ぶ
27 倒れても、起き上がる(箴言24:1〜34)

「心の門を開いて」

 「オキアガリコボシ・プロジェクト・フロム・ヨーロッパ」というイベントが、東北震災の時行われました。日本のアーティストの呼びかけに応じて、欧州のアーティストが、福島県会津地方の伝統玩具「起き上がりこぼし」に絵を描いて売って、復興支援したという話です。倒れても起き上がる、起き上がりこぼしを復興になぞらえたのです。聖書も、信仰の人は、「七たび倒れても、また起き上がる」と教えています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 16節を見てください。「正しい人が倒れる」と言っています。この人は、どうして誰によって倒されたのですか。「倒れる」とは、どんな目に会うことだと思いますか。
・16, 15,19節/
・Uコリント12:10/

2 悪者が繁栄し、横行している世で生きていると、心が痛めつけられ、悩まされることが多いです。人々との利害関係が交錯することもあり、見解の相違で対立する時もあります。人から無視され、侮辱されることもあります。悪い人から攻撃されたり、騙されたり、危害を受けたりしたことがある人は、どのような心情になるでしょうか。自分を苦しめ、痛めつけた人に対してどうしたいと思うようになるでしょうか。
・17,19,29節/
・/

3 人の心理には、人から受けた好意や仕打ちを返したいという返報性の原理というものがあります。理不尽なことをされて傷ついた場合、「思い知らせてやりたい!」と恨みの感情を抱くのも、返報性の原理のためです。恨みの感情が癒されるには、憎しみの対象を相対化して小さく捉え直したり、報復そのものを昇華させて高い次元に引き上げることだと心理学は言います。悪をなす者を憎まず、敵が倒れるのを喜ばないようにと聖書が勧めているのは、聖徒たちを仕返しや憎しみから守るためです。神様がどうされるのですか。
・16節後半,20節/
・ローマ12:19/

4 「七たび倒れて」というのは、完全に倒れてしまうほど酷い試練に会うということです。人生において大きな試練を受け、酷い災難に出会い、心痛み、絶えられない苦しみを覚えることもあります。正しく信仰に生きても、災難に会い、試練を受け、失敗はするということです。どんな試練や失敗を経験されましたか。その時、どんな心境になりましたか。
・ヤコブ3:2/(参考)
・Uコリント11:23,27/(参考)

5 16節では、「倒れても、また起き上がる」ということが強調されています。人は、何度も失敗し、試練に会い、倒れます。でも、信仰に生きる聖徒が人と違うのは、「倒れても、また起き上がる」ということです。使徒パウロは、その人生において大きな逆境と試練と失敗が繰り返された人です。その度にどうしましたか。
・Uコリント4:8〜9/


6 失敗は、かえって新しいことに挑戦するきっかけとなります。1つの失敗は、他のことを始めようとする動機を与えてくれます。失敗は、より良い未来のための新たな出発点を作ってくれるのです。使徒パウロの伝道旅行は、御霊によって禁じられ計画通り進むことができませんでしたが、それによってヨーロッパ伝道に導かれました。そのような主の取り扱いを受けたことがありましたら、分かち合ってください。
・使徒16:6〜11/


7 どんな人が「七たび倒れても、また起き上がる」ことができるのでしょうか。「正しい者は」と言われています。正しい者とは、道徳的に正しい人というのではなくて、「義人」のことです。義人とは、どのような人ですか。どうして義人になれるのですか。
・ローマ1:17,ハバクク2:4/
・ローマ3:24,4:25/

8 イエス様の十字架による贖いを信じたゆえに、罪が赦され、主なる神との関係が回復し、神に愛され、守られ、祝福される者となります。失敗したとしても、苦痛の現場において、神がその中にあって、どのような取り扱いをしてくださるのですか。信仰を持つことができますか。
・ローマ8:28/
・詩篇37:24/

9 神に背を向けて、御言葉に逆らって倒れている者に対して、慈愛の神様は、どうすることを願っておられますか。
・エレミヤ8:4, エペソ5:14/

「命の実を刈り取ろう」

 神に背を向けて、御言葉に逆らって倒されている者に対しても、慈愛の神様は、悔い改めて、起き上がることを願っておられます。主に反抗している者、霊的に死んでいる者に対しても、「起き上がりなさい」と呼びかけておられます。癒してくださる時も、「起きなさい」と主は言われました。マタイ9:6,マルコ5:41。よみがえられたイエス様が私たちのうちに生きておられます。ですから、倒れた私たちも「イエスの御名で起き上がりなさい」と言われます。示されたこと気付かされたことを分かち合いましょう。

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