小グループで聖書を学ぶ
28 心を制する(箴言25:1〜28)

「心の門を開いて」

 「人間は考える葦である」と言われます。人間の、自然の中における存在としてのか弱さと、思考する存在としての偉大さを言い表したものです。頭が考えることを放り出したまま、心が放っておかれると、悲しみや苦しみ、つらいことばかりに目が向くようになるという弱さがあります。しかし、心は制御できるものであり、心を制することができれば人生は幸福に生きられるという偉大さがあります。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 人は人間関係の中で生き、人生は人間関係の中で進んで行くものです。人間関係の中で、感情、メンタルは、人生を豊かにもし、辛い苦しいものにもします。今日の箇所は、人間関係における様々な姿勢、言葉について教えています。人間関係の教訓です。その結論は、何と言っていますか。どういう意味ですか。
・28節/


2 自分の心を制することがないと、何かのことで心が壊れそうになります。苦しくて、辛くて、悲しくなります。思いは否定的、悲観的になります。制することのない心は、過去に起こったことについて、目の前に現在も存在しているかのように嘆いたり、苦しんだりします。将来の不安や恐れも、現在どこにも存在しないものなのに、存在しないことを想像して、現在の自分を苦しめたりするのです。そんな反応や想像をどう思いますか。



3 自分をコントロールできない、自分の心を制することができないという悩みを持つ人が多いそうです。怒り、憎しみ、嫉妬などの感情が抑えられない。辛い過去の出来事をつい思い出してしまう。将来の不安や心配が頭から離れない。そして、自分の失敗や欠点、能力のなさや弱さなどを責めてしまう。そんな嫌な感情が、悪い思考を生み、よくない行動に結びつくのです。よくない行動の結果、自分を責めたり落ち込んだりして、ゆううつにもなります。そのようになる時がありますか。聖書は、何と勧めていますか。
・箴言4:23/
・箴言16:32/

4 人間は、自分自身の心を自分の力で治めることはできません。なぜでしょうか。そのために、何が与えられていますか。
・ローマ7:19〜20/
・ローマ7:24〜25/

5 イエス・キリストの十字架による贖いの恵みを信じて罪から救われます。しかし、まだ地上にあっては罪が残っていて、私たちは、自分一人の力で心を治めることはできません。何に頼ることができますか。どうしたら、罪に打ち勝ち、心を治めることができるようになりますか。
・ローマ8:2,9/
・使徒1:8/

6 御霊の支配を受けるとき、初めて罪に打ち勝ち、心を治めることができるようになります。イエス様を信じた時から御霊が住んでいてくださるのに、どうして罪に翻弄されるのでしょう。なぜ心を治めることができないのですか。どうすることが必要ですか。
・エペソ5:18/


7 酒に酔うと、その人の人格が酒の支配を受けることになります。自分の意志で行動できなくなります。一方、御霊の満たしは、御霊がその人の人格を治めるようになる状態です。御霊の力が注がれて初めて、自分の心を治めることができます。このように重要な御霊の満たしを、どのようにして受けることができますか。
・コロサイ3:16/


8 御言葉で心が満たされると、霊的な信仰生活ができるようになります。御言葉を心に蓄えて黙想する時、御霊に満たされるようになります。賛美と祈りは、御言葉に御霊の火をともしてくれます。御霊に満たされると、どのようになりますか。
・ヨハネ16:33/
・ローマ5:5/

9 悲しみや悔しさや憂いなどの感情は、持続的になることが多いです。否定的悲観的な感情になるのは、物事の受け取り方によります。自分の否定的悲観的な感情の原因は、自分がそう考えているのではないかと自問してみてください。その事を繰り返し思い出していないか。事実でないことを想像していないか。関連する事まで連想していないか。それに気づいて、その感情から抜け出すために、あなたは何を思い出して歩みますか。
・ローマ8:32/(参考)
・Tペテロ2:24〜25/(参考)

「命の実を刈り取ろう」

 心を制するために、今自分が何を考えているか知ることです。嫌な感情になっているなら、御霊によって癒される、主の恵みによって守られると信じます。私は主に愛されている、私は祝福を受けられる、私は幸せに生きることができると思い出すのです。確信するのです。祈りと賛美をささげ、御言葉で心を一杯にします。私の思いと考えが変えられます。こうして、心を制するようになります。適用を分かち合いましょう。

戻る