小グループで聖書を学ぶ
32 幻がなければ(箴言29:1〜27)

「心の門を開いて」

 新しい年を迎えると、人は何か願いことをしたり、夢やビジョンを見ようとします。聖書は、私たちが見るべき夢、ビジョンを教えています。どんな夢、ビジョンなのでしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 18節では、「幻がなければ、民はほしいままにふるまう.」と教えています。この「幻」という言葉は、「ビジョン」とか「啓示」とも訳されています。ということは、何でも好きなようにビジョンを持てばいいということなのでしょうか。夢を抱けば与えられる式のことを言っているのでしょうか。
・18節/


2 幻が啓示という意味であるなら、ビジョンは神様からのものだということです。自分の願望に沿って、自分勝手に見る夢ではなく、神の啓示によって見る夢だというのです。聖霊様が悟らせてくださる神の聖なるビジョンです。自分の願望によって見る妄想や野望とは違います。あなたは、自分の働きや生活について計画や夢がありますか。それについて神様に聞いてみましたか。
・箴言16:1〜3/


3 夢やビジョンでも、自分の勝手な願い、野望を追求した結果はどうでしょう。それを最も追求できたソロモン王、知恵を与えられ、富と権威と名声を得て、偉大な事業を成し遂げた結果、何と書き残しましたか。主から与えられたビジョンとは違いましたか。
・伝道者2:11 /
・T列王3:5,11〜13/

4 ビジョンは、必要です。ビジョンは、人生の目的と方向を明らかにしてくれます。人生の目的を持って、生活の動機と情熱を増進させてくれます。ビジョンを持っている人は、どのような状況に接しても、うろたえることなく、忍耐します。使徒パウロも、主から受けたビジョン、使命を果たすために、死の危険と迫害と幾多の困難も克服することができました。このことについて、パウロ自身、何と言っていますか。
・使徒20:24/


5 30cmもジャンプできる蚤をガラスのコップに入れて、ガラスの蓋をする実験しました。蚤は、最初コップから出ようとジャンプするのですが、その度にガラスの蓋にぶつかり、やがてぶつからない高さまでしかジャンプしなくなります。何と、ガラスの蓋をとっても、蚤はコップの高さまでしかジャンプしません。私たち自身も、今まで多くの失敗もし、出来ずにあきらめた事もたくさんありました。これからも、くじけそうになることがあるでしょう。何が必要ですか。蚤の実験から何を学びますか。
・ヘブル11:1/
・ローマ5:3〜5/

6 このビジョンによる希望は、今の自分がどうか、どんな状態かは問題ではありません。現在の自分の姿で人生を評価してはいけません。年齢や環境に縛られずに望みを失わなければ、誰でもその人生が変化することを信じることができます。そのためには、どのような姿勢が必要ですか。どんな心で生きることが大切ですか。
・ピリピ3:12〜14/


7 私たちは、どのようにしてビジョンを持つ人になることができるのでしょうか。ビジョンは、神からの啓示なのですから、ビジョンを持つ人になるために、神に対してどうしなければなりませんか。
・エレミヤ33:3/
・ヨハネ15:7/

8 私たちは、神様に「自分を世に送ってくださった目的は何なのか」を祈り聞かなければなりません。「自分の家庭と教会、職場や学校、地域を与えてくださった目的は何なのか」を祈り尋ねるのです。私たちは、イエス様を信じて、救いに与り、救いのために召し出されたのですから、それぞれのビジョンを与えられます。ビジョンを与えられて、ビジョンに生きるには、祈りに加えて、何が必要ですか。
・使徒2:17/
・18節後半, Tサムエル3:1/

9 聖霊が注がれると、青年は幻を見、老人は夢を見る」とあります。御霊が臨めば、夢を見ます。ビジョンを得るには、御言葉が必要です。「律法を守る者は幸いである」とは、御言葉に聞き従う者は、ビジョンに生きることができるから幸いだというのです。あなたは、自分のビジョンについて、どんな祈りをささげますか。


「命の実を刈り取ろう」

 ビジョンを受け取った場合、懸命に働きながら必ず忘れてはならないことがあります。徹底的に神の助けを求めることです。詩篇127:1。神は、私たちを通して神のビジョンを実現しようとされます。救われたあなたには、必ずビジョンが用意されています。その一事に励んで、一心に走りましょう。学びを通して導かれたことを分かち合い、互いのために祈りましょう。ピリピ3:13〜14。

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