小グループで聖書を学ぶ
6 あなたの心を見張って、見守れ(箴言4:1〜27)


「心の門を開いて」

 私たちには、気付かないことがあります。私たち神の民が、イエス様を信じて、御言葉を学んでいながら、御言葉に聞いて生きることをしていないということです。御言葉の知恵に聞くならば、どれほど幸いに歩めるかしれないのに、依然として知恵を得ないままでいるのです。ですから、主の呼びかけに聞きましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 主の呼びかけは、「子どもらよ」というように、父が息子に訓戒や教訓を語るという形をよくとっています。そして、父自身、その父から教えられた教訓を教えています。その教訓の内容は何ですか。繰り返され、強調されていることは何ですか。
・4〜7節/
・/

2 箴言には、ソロモン王の名前がつけられていますので、ソロモン王が父ダビデ大王から受けた知恵の教訓を子のレハブアムに伝えているとしてみましょう。ソロモン王は、どうしましたか。その結果、どのような祝福を受けましたか。
・T列王3:9〜12/
・8〜9節/

3 私たちは、人生において問題に出会い、悩み、葛藤します。人生の難しさや大変さを経験しています。悩みも不安も持っているのに、なぜ神様に拠り頼まないのでしょうか。どうして、救われているのに、主の知恵を求めないのでしょうか。御言葉を大切に思って、参考にしていると言います。参考にしているというのは、人生の主人が自分であることを意味しています。自分がすべてのことを判断して決定して、人生を生きているからです。あなたは、どうですか。
・/
・/

4 私たちは、人生の問題に出会い、何度も歩みを妨げられ、躓いたことでしょう。仕事や人間関係において、失敗し、痛い経験を何度もします。なぜでしょう。父は子に、知恵の道を教え、正しい道に導いたと言っています。歩みは妨げられず、躓かないというのですが、子がどうする危険があるのですか。ソロモンの子レハブアムの例は、どうでしたか。
・11〜12節/
・14〜15節, T列王12:6〜7,13〜14/

5 ソロモンの教訓を聞いていたのに、その子レハブアムは、神の知恵を聞くことなく、知恵を得ることがありませんでした。レハブアムが、長老たちの知恵の助言を退け、側近の若者の愚かな助言を採用した結果、民は王から離れ、王国は分裂してしまいました。レハブアムのようにならないためには、どうすればいいのでしょう。教訓を聞いても、結局何が問題ですか。御言葉を聞いても、神の知恵にはならないのは、何が伴わないからですか。
・21,23節/
・ルカ8:15/

6 御言葉をあなたの心のうちに保てと言い、力の限り、心を見張り、心を見守ることを強く求めています。なぜ、それほどに心を見張って、見守らなければならないのですか。イエス様は、何と教えてくださいましたか。
・23〜24節/
・ルカ6:45/

7 心を治めることがないと、欲求不満やストレス、失望落胆、不安や心配、怒りや憎しみ、嫉妬、憂鬱などが心に深く広がります。心は、すべての思考や行動を決定します。心の中に癒されていない傷や苦い根があるなら、何かがそこに触れると、怒りを爆発させ、悪口雑言が出て来ます。心の中の影は、他の人にその影を投影します。相手のせいにしたり、否定的なことを言います。そのようなことがなかったでしょうか。
・ヘブル12:15/
・マタイ15:18〜19/

8 私たちは、イエス様を信じて、罪が赦され、新しい命を与えられた者です。しかし、まだ造り変えと成長の過程にあります。何によって成長して行くと教えていますか。心を見張って、見守っていなければ、どのようになると言っていますか。
・Tペテロ2:2/
・ヤコブ3:9〜10/

9 23節に「あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく」と言っています。自分の心の中に抑圧された暗い影と会う時に、それを人のせいにしたり、投影をするのでなくて、自分の心の傷や苦い根と向き合うのです。「なぜ怒りをぶつけるのか、なぜ赦せないのか、自分はどうなのか、自分も批判される者、責められるべき者ではないか。こんな私のためにイエス様が十字架にかかってくださったではないか」ローマ5:8。こうして、自分の中に命の泉が湧いて来ます。知恵を見出す者は、どうされると約束していますか。
・22節/

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様の福音を見出す者、知恵を見出す者は、心が癒され、健康になります。私たちの心が健康なら、その心から良い物が出て来ます。隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにできるのです。ローマ15:2。与えられた決心や導きを分かち合い、互いのために祈りましょう。23節。

戻る