小グループで聖書を学ぶ
9 御言葉に生きよ(箴言7:1〜27)

「心の門を開いて」

 箴言は、知恵と真理の光の下で個人の生活に適用して行く訓練をさせます。箴言は、具体的に訓戒が教えられていますから、正しく適用され、用いられるなら、私たちの生活に大きな力となります。今日の箇所では、誘惑に陥る愚か者の姿を通して、誘惑に対する知恵を教えています。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 この箇所には、ひとりの若者の行動を窓からこっそり見ている場面を通して、その誘惑に陥る過程を見せてくれています。どんな人ですか。誘惑を受ける以前の彼は、どんな行動を取っていますか。彼に問題は、ないですか。
・6〜9節/


2 わきまえのない思慮に欠けた若者は、御言葉の知恵を聞くことなく、神の目を忘れています。彼は、誘惑する女の所に自ら出て行きました。顔を見られないように夜に出かけました。誘惑され、罪に陥る危険を承知で出て来たのです。様々な他の誘惑でも同じように、誘惑というと、受身や被害者意識なのですが、誘惑にあう場面に自ら出ることや誘惑を受ける状況に自らを置いてしまうことについて、どう思いますか。
・ヤコブ1:14/
・Tテモテ6:9/

3 人を罪に誘う機会はどこにでもあります。仕事上の不正や誤り、人間関係の争いや怒りもしかりです。そうした罪に誘惑される状況にいることや誘惑される場に自ら行くことで誘惑されるのなら、すぐできる対策は、過ちに陥る場面や状況に自分を置かないことです。でも、自分には信仰があるから大丈夫と考えるでしょうか。何と、誘惑する女は、言葉巧みに彼の信仰的拒否感を薄めてしまいました。どういう方法ですか。思い当たることがありますか。見聞きしたことがありますか。
・13〜15節/


4 和解のいけにえとは、罪人が神との関係を回復し、交わりを享受するためにささげたものです。犠牲の一部を主なる神にささげ、その残りの部分は人々にご馳走するならわしでした。そのようにしてあなたを待っていたというのです。こうして、彼の心に残っていたこの最後の砦であった信仰的拒否感を崩されてしまった彼は、どうしましたか。その結果、どうなってしまうのですか。
・21〜23節/

5 人が誘惑に陥るならば、家庭が崩壊し、職場を失い、勉強が破綻します。幸いなことに、誘惑にさらされる神の民に対して、聖霊が知らせてくださり、心に語りかけてくれます。そのような内なる声を聞くには、どうしますか。聞いたら、どうしますか。
・24〜25節/
・マルコ14:38/

6 多くの人々が、誘惑に陥り易いことをみくびって、自覚していません。聖書は、私たちが誘惑に陥り易い者だと警告しています。誘惑に陥り易い者だと自覚しておられますか。私たちが、誘惑に陥らないためには、どうしたらよいのでしょうか。今日の箇所が、繰り返し、表現を変えて命じています。何ですか。
・1〜5節/


7 まず、「御言葉を守れ」(1〜2)と言っています。「御言葉を瞳のように守れ」(2)と言います。御言葉を守れと3度も言って、強調しています。瞳のように守れとはどんなイメージですか。御言葉を聞いても、それは難しいとか、私の思いとは違うと言って、斥けていることはないですか。御言葉を守れるようにしてくださいと祈っていますか。
・T歴代22:12/
・詩篇119:134/

8 「御言葉をあなたの心の板に書きしるす」というのは、神の御言葉を愛して、大事にして、心に刻むことです。「あなたの指に結ぶ」というのは、いつも覚えているということです。自分を励まし、救い、戒め、導いてくれる御言葉を「心のうちに蓄え」ましょう。心にあった御言葉によって誘惑から守られた経験があったら、分かち合いましょう。



9 そして、「御言葉を守って、生きよ」(2)と言っています。御言葉に生きるとは、御言葉を生活化しなさいということです。イエス様を信じて救われた私たちには、新しい命に生きるために、御言葉が与えられています。御言葉を食べて生きるのです。聖徒たちは、御言葉を学ぶことはします。熱心に聞き、読むことはします。しかし、御言葉通り生きることを考え、御言葉に聞き従って生きようと願っているでしょうか。


「命の実を刈り取ろう」

 信仰の問題は、御言葉を聞かないことではありません。御言葉を知らないことでもありません。御言葉に生きようとしないことです。困難や試練の解決策は、神の御言葉を私たちの生活の現場である家庭、学校、職場などで、そのまま適用して実践して、御言葉通り生きてみようとすることです。気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。ヨシュア1:8, マタイ7:21。

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