小グループで聖書を学ぶ
10 私たちを呼ばれる主の声(箴言8:1〜36)

「心の門を開いて」

 世の知恵は、社会の中で長い歴史と伝統の中で作られたものであり、個人的には、学びや経験によって蓄積された生活の方法ということができます。ですから、世の知恵とは、人生をどのように生きるべきか、人生は何なのかについての認識を示したものでした。しかし、箴言の知恵は、信仰につながっており、神を恐れ、神様の御心を聞き、御言葉に従って生きるようにさせるものです。今日の箇所は、そのことをもっと強く認識させてくれるところです。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 箴言をいわゆる格言集のように思っているでしょうか。それでは、都合良く扱われてしまい、真実に箴言の知恵によって生きて行くことはできません。ここでの知恵は、人のように呼びかけています。知恵とは誰であると教えられていますか。
・1〜4節/
・Tコリント1:24,ヨハネ1:1,14 /

2 神の真理の言葉をロゴスと言います。ロゴスは、永遠の真理であるイエス・キリストを指しています。そして、言葉は肉体をとって世に来られ、救い主となられました。箴言は、知恵の言葉を超えて、真理の言葉であり、命の言葉であって、聖徒たちを神との交わりへ導き、信仰に生きるようにさせるものです。そのために、信仰生活の現場で、私たちに呼びかけているのです。イエス様の御声を聞くためには、どうしなければなりませんか。
・ヨハネ10:3〜4/
・箴言5:1〜2/

3 なぜ、知恵がそのように私たちを呼んでいるのでしょうか。知恵は、今日私たちが心を留めて知恵を聞くことを望んでいます。まず、どうするように勧めていますか。それについて、自分はどうだと思いますか。
・5節/
・12,14節/

4 御言葉はどう言っているか考えて行動しているでしょうか。イエス様だったらどうされるだろうかということで判断しているでしょうか。もし私たちが自分の肉の考えや判断だけでやっているなら、自分がわきまえのない者、愚かな者になります。私たちが、分別をわきまえ、思慮をわきまえるためには、御声を聞かなければなりません。その理由は何ですか。
・6〜9節/
・Tヨハネ5:20/

5 イエス・キリストは、私たちを愛し、救うために、十字架に苦しまれ死なれました。17節に注目しましょう。どんなことを言っていますか。あなたは、それについて、どうしていますか。
・17節/
・ヨハネ14:21/


6 イエス様を愛して、捜して求めて、会いたいという切実さがありますか。救い主を捜し求めて、イエス様を信じて、愛するならば、何が起きますか。捜し求めなければ、問題や試みに会った時、どうなりやすいですか。
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7 神の知恵の絶頂がイエス様であり、神の知恵はイエス様そのものです。22節以下では、イエス様がどのようなお方であると教えていますか。それを読んで、あなたの思うことは何ですか。引用聖句も参照しましょう。
・21〜27節/
・コロサイ1:15〜17/

8 御子は、見えない神のかたちであり、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって造られ、万物は御子にあって成り立っていると教えられています。コロサイ1:15〜17。イエス様は、初めから父なる神と共にあってすべてのものを造られ、統べ治めておられたことが分かります。これをイエス・キリストの先在性と言います。でも、世の知恵でイエス様を見た人々は、どうしましたか。イエス様を信じることは、何によりますか。
・Tコリント2:7〜8/
・マタイ16:16〜17,Tコリント1:30/

9 クリスチャンは救われたその瞬間、彼の霊は天の御国で主と一緒に座るようになります。自分の天の御国にある高貴な特権を忘れてしまって、世のことに埋没してしまうならば、あまりにも愚かなむなしいことです。日々イエス様の声を聞いて、イエス様に出会うなら、イエス様を見出すならば、どうなると約束されていますか。
・エペソ2:6/
・34〜35節/

「命の実を刈り取ろう」

 毎朝起きて、まず主に会いましょう。祈りで始まり、御言葉を通して主との出会いを先にします。そして人に会います。誰と最初に会うのかということは、その日一日を決定する重要な出会いになるからです。イエス様の御声を聞いて、御言葉に聞き従う者は、神の知恵によって生きることができ、分別を与えられます。いのちを見いだし、恵みをいただくことができます。適用を分かち合って、互いのために祈りましょう。

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