小グループで聖書を学ぶ

1 まず自分が、そして共に(士師記1:1〜21)


「心の門を開いて」

 士師記は、イスラエル民族がカナンの地を占領して行く過程が記されています。士師時代は、今日の私たちの環境ととても似ています。霊的戦争で世を占領して行くというように、士師記を通して、私たちの信仰生活に関する具体的な導きを学んで行きます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 士師記の時代は、モーセの後継者、「ヨシュアの死後」から始まっています。約束の地カナンに入ったばかりで、ほとんど征服されておらず、周りには別の民族がいるという状況の中で、偉大な指導者はいなくなりました。どんなことが予想されますか。
・1節/


2 まず問題となったことは、どの部族が「最初に上って行って、カナン人と戦」うかということです。各部族は、不安と恐れで躊躇し、互いの顔色を伺いながら、留まっていたようです。誰しも、未知の世界、経験のないこと、困難が予想されること、自信のないことに関しては、最初に乗り出すのを躊躇してしまいます。経験がありますか。



3 ヨシュアの死後、これからこの地を征服して新しい自分たちの国を立てなければなりません。私たちも、神様から宣教の地が与えられ、救われるべき人々が備えられています。生涯をかけて、イエス様の十字架による救いの福音という武器を用いて、世を征服するために向かって行かなければなりません。そのために何が必要でしょうか。躊躇していた民はどうしましたか。どうして征服に乗り出して行けるようになりましたか。
1〜2節/


4 12部族の中で信仰上長男的な立場にいたのが、ユダ部族でした。部族の始祖の中で信仰の祝福を継承したのもユダであり、勢力も多い有力な部族でした。でも、「わたしは、その地を彼の手に渡した」という神様の後ろ盾があって、率先して行くことができます。家庭や職場や学校において率先しなければならない時、私たちには、どんな励ましがありますか。どんな信仰が必要ですか。(参考/申命記31:23, マタイ8:8〜9)


5 神様の命令と励ましをいただいたユダ部族は、そのまま単独では上っていきませんでした。何をしていますか。強調されていることはどういうことでしょうか。
・3節/
・伝道者の書4:9,12

6 シメオン族の割り当て地は、ユダ部族の中にありました。ユダ部族は、イスラエルの中でも大きな有力な部族ですが、シメオン部族は小さな弱い部族です。ユダ部族の助けが必要です。だからと言って、ユダ部族は、シメオン部族を助けてあげましょうと言っていません。かけって「一緒に来て助けてください。私たちもあなたを助けます」と提案しています。ユダ族の謙遜で愛の配慮のある姿が際立ちます。このような「共同の働き」の原理は、なぜ必要ですか。
・Tコリント12:22〜27/


7 「からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないもの、神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださった」と言っています。自分一人がやっていると高慢になったり、私なんか必要ないと身を引いたりすることは、どちらも聖書的ではありません。そう思ったことはありませんか。



8 共同の働きは、とりわけ家族の協力に見ることができます。カレブとその家族は、どのようにしていました。(カレブは、自分の婿になる者に、そうすることを期待しており、結婚することになっていたオテニエルも期待通り働いたと思われます。アクサが泉を得たことは、その一帯の土地を占領したことと同じです。)
・11〜15,20節/


9 この時カレブは85歳でしたが、40年前出エジプトの時、この地を偵察して、信仰をもって、「その良い地を必ず占領できる」と進言した人でした。神様が約束を与えることを信じ続けたので、約束の地に入ることが許され、彼が踏んで来たその地を子孫に与えるという神様の約束を受けました。(参考/民数記13:30, 14:24)彼の信仰やビジョンは、どのように家族に影響したと思われますか。


「命の実を刈り取ろう」

 神様から約束された地を得るというビジョンと神様に対する情熱的信仰は、家族や一族も共有し、今そのビジョンを共同して実現したということです。私たちあきる台BCも、「この地の救いのためにまず私たちが御言葉によって整えられて」というビジョンを掲げて歩んで来ました。御言葉の約束を信じ続けることで家族に救いが広がり、この地に福音が広がります。今日の学びを通して気付かされたこと、導きを受けたことなど分かち合い、共同して取り組んで行けるように祈りましょう。

戻る