小グループで聖書を学ぶ

2 追い払わなかった(士師記1:22〜36)


「心の門を開いて」

 私たちが士師記を学ぶ時、戦争や占領を学ぶのではなく、イスラエルの民がカナンの地を占領して行く過程を通して、過ちや神様の導きなどを学び、私たちの信仰生活への適用を受けて行きます。神様は、このカナンを占領していく民の姿を通して、私たちに何を問いかけているのでしょうか。

「御言葉の種を蒔こう」

1 前回のユダ族とともに、イスラエルの中で重要な部族は、ヨセフ族でした。エフライム族とマナセ族を合わせてヨセフ族と言います。ユダ部族は南方でしたが、ヨセフ族は北方を割り当て地としていました。どんな占領方法でしたか。
・22〜24節/


2 私たちは、戦争の話しを通して、霊的な適用を受けます。私たちにとって占領すべき地とは何か、自分の中から追い出すべきものは何だろうか、その時気をつけるべきことは何か、と考えてみることが適用です。ヨセフ族の姿から私たちが学ぶべきこと、注意すべきこととは何でしょう。その占領方法の結果起こったことから考えてみましょう。
・26節/


3 イスラエルの民が求められていたのは、完全に征服し、占領することでした。これには、カナン人の悪徳放縦や偶像礼拝を取り除くという霊的意味がありました。しかし、ヨセフ族は、そのような霊的意味を深く考えず、取引してしまいました。その結果、取引した人が重要人物で、近くにまた自分たちの町ルズを立ててしまいました。新しい未占領地ができてしまいました。愚かな知恵に頼ったり、軽はずみな妥協をしたりした結果、かえって問題が起き、努力が無に帰したことなどありませんでしたか。



4 私たちに必要なのは、世において徹底して信仰で生きることです。あえて反抗したりすることではなく、いい加減な信仰は影響力をもたないし、適当に妥協するなら世はそこに真実性を見ないし、結果自分自身の信仰も危うくなるということです。中心部族のヨセフ族の神様に従うことに不徹底な姿は、他の部族にどんな影響を与えましたか。
・27〜30節/

5 「カナン人を追い払わなかった」「カナン人は彼らの中に住んだ」という文が、繰り返し出て来ます。霊的な意味は、悪徳放縦、偶像礼拝を取り除かなかったということです。これらの部族の不徹底な姿は、彼ら自身にどんな影響を与えて行くと思われますか。(参考/ガラテヤ5:19〜21)


6 ヨシュア記12章を見ると、すでにこれらの地域で戦いが行われ、その王たちを討ち取りました。占領は難しくなかったはずです。それにもかかわらず、イスラエルの民は、追い出すことをしませんでした。民が、このように不徹底、不従順になった理由は、どんなことが考えられますか。それらの理由は、私たちにとっては、どうですか。(参考/民数記13:31〜33,マルコ4:19)



7 そのように、神の民が神様の御心に対する情熱を失って、勝手に進むなら、さらに悪化します。どうなりましたか。どうしてカナン人が攻勢になったのでしょうか。
・31〜33節/
・34〜35節/

8 立場は逆転して、彼らがカナン人の中に住みつき、ダン族は占領すらできませんでした。神の民が不徹底、不従順、いい加減な信仰という隙を見せていたためです。彼らがいのちをかけて占領を進めるなら、カナン人が他の所に移って行ったことでしょう。しかし、その意志がないので、カナン人の方が強く出て、攻勢をかけることになりました。私たちの信仰が真実なら、人が私たちを見くびることはありませんが、不徹底ないい加減な信仰なら、人もサタンも付入って来ます。具体的な例をあげてみましょう。



9 彼らの怠惰と欲心、偶像崇拝への無頓着、神様の御力と約束を信じない不信仰が、彼らから幸いと繁栄を失わせ、危害を受けるようにさせたのです。後に、この北方の割り当て地は北イスラエル王国となり、その不信仰のゆえにアッシリアに捕囚となって、国も民も消えてしまうことになります。これを知った感想は、どうですか。



「命の実を刈り取ろう」

 私たちの信仰は、イエス様のいのちを代償として与えられた救いです。占領すべき宣教地、占領すべき仕事や学びは、どうですか。主のものとなった自分から、争い、敵意、憤り、妬み、党派心等追い出されつつありますか。神様の御言葉に従順になるなら、肉の思いを追い払うことができ、御霊の実が育ちます。イエス様が与えてくださった信仰は、世に勝つ信仰です。占領していく神の民を通して気付かされたこと、受けた導きを分かち合いましょう。ガラテヤ5:22〜23,Tヨハネ5:4〜5

戻る