小グループで聖書を学ぶ

19 見るにしのびなくなった (士師記10:1〜18)

「心の門を開いて」

 イエス様を信じて救われた者は、いったいどういう存在なのでしょうか。どのような信仰生活をすることができるのでしょうか。負のループに陥るイスラエルの民の姿を通して、自らの信仰を省み、改めて、救いの素晴しさ、神様の愛を確かめて、確かな信仰に日々生きましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 アビメレクが死んだ後、再び士師体制が始まります。大士師と言われるデボラやギデオンは、イスラエルの危機の時、大きな働きをしたことが記録されていました。危機の時の活躍もない記録の少ないトラのような人は小士師と呼ばれていますが、どんな働きをしたと思われますか。どのような状況の後に立てられたのですか。
・1〜2節/


2 アビメレクの野望の結果、混乱した地に平安を回復させた働きは、大切です。いつも真理の灯を消すことなく、持続的に信仰を証ししている地味な働きが重要です。あなたは、じみで平凡、目立たない働きを過小評価していませんか。自分の仕事や責任についてどう考えていますか。



3 次のヤイルという小士師の働きの特徴は、何ですか。そこから、私たちが学べることは何ですか。
・3~4節/


4 息子たちをよく用いたヤイルの働きは、彼一人の三十倍の効果がありました。一人ですべてやるのではなく、共にする小さな働きが集まり、大きなものとなります。二人の士師によって、イスラエルが政治的に安定すると、また信仰的に後退して行きます。どんな特徴が繰り返されていますか。負のループの第一段階は何ですか。
・6節/
・3:12前半/

5 偶像信仰が主張するのは、罪でも何でも思うがままにしていいということです。しかし、欲のままにしたところで、少しも人生はよくならないし、満足も得られません。心は虚しくなり、悲惨な生活となります。負のループの第二段階です。偶像礼拝に陥った民は、結局どうなりましたか。
・7〜9節/
・3:12〜14/

6 負のループの三段階目は、何ですか。この時は、これまでの三段階目とはまったく違います。同じ繰り返しではありません。これは、驚くべき姿勢です。彼らの信仰のどんなことをあらわしていることになりますか。
・10節/
・3:9,3:15/

7 「私たちは、あなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルに仕えたのです。」と罪を告白しています。神様が望まれたことです。それなのに、神様は彼らの叫びを拒否しています。本当に拒まれたのでしょうか。この神様の態度の目的は何ですか。私たちも、祈りが拒まれたと感じることがあります。その時、どう受け取るべきですか。
・11〜14節/


8 誰でも苦しい時は何にでもすがり、助けを求め叫びます。それだけなら、ご利益信仰と同じです。本当に、主なる神を信頼しているのか、委ねて従おうとしているのかが問題なのです。この負のループから抜け出すためには、どうしなければなりませんか。「助けない」と言われても、民は主の御前から退きませんでした。何と言いましたか。どんな信仰の姿勢ですか。
・15〜16節前半/


9 真実に悔い改めた民は、我と我が身を差し出し、偶像も取り去りました。本当に主に拠り頼み、自分を委ねました。神様に信頼する者は、思うようにならなくても、神様に拒否されたとか見捨てられたとは受け取りません。願いや求めが拒まれたと思えても、祈りの場から離れません。その信仰に対して、神様はどう答えられますか。これは、神様の私たちに対するどんな御思いをあらわしているのですか。なぜ、そうされるのですか。
・16節後半/
・エレミヤ31:20, 詩篇106:43〜45。

「命の実を刈り取ろう」

 神様の深いあわれみと慈愛に感動し、涙があふれ出ます。救いの契約のゆえに、ご自分の民を顧みてくださいました。罪に対して厳しい神様ですが、子どもの悲痛に耐えられない親のようにあわれんでくださったのです。この神様のあわれみの極致が、イエス様の十字架による救いです。神様の愛と哀れみは変わりません。ローマ11:29, ヘブル13:8。民に対する救いはずっと続けられていました。きょうの学びを通して思わされたことは何ですか。どうするように導かれましたか。ローマ8:32。

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