小グループで聖書を学ぶ

25 裏切りと保身の中で一人(士師記15:1〜20)

「心の門を開いて」

 士師サムソンは、一人でペリシテと戦うことになりました。それは、孤独でつらいものでした。サムソンの姿を通して、私たちが、どのように主に用いられて、どのように人に仕えて行くのかを示してくれています。

「御言葉の種を蒔こう」

1 なぞなぞ騒ぎの果てに、大暴れしてイスラエルに帰ってしまったサムソンが、しばらくして再びペリシテに来ました。どんな状況になっていましたか。
・1〜2節/


2 長年イスラエルを支配していたペリシテはイスラエルを見下しており、義父もその娘もサムソンを軽んじて、このような仕打ちとなりました。この時、サムソンは、かっとなって義父に仕返しせず、再婚した男から妻を奪うこともせず、舅の口車に乗って妹と結婚することもしせんでした。なぜでしょうか。何を求めたのでしょうか。
・士師14:4/


3 怒って義父に報復することより、ペリシテに報復することで使命を果たすことをサムソンは考えました。そして、イスラエル人に被害を及ぼすことなく、怒ったサムソンが個人的な腹いせでしたことだと思われるような方法を取ろうと考えました。サムソン一人でペリシテに打撃を与える方法としてとったことは何ですか。
・4〜5節/


4 ペリシテは、この被害に怒りましたが、その怒りをサムソン個人には向けず、その元を作った義父とその娘に向けてしまいました。これが、サムソンに怒りを引き起こさせ、ペリシテを打ちました。ここにおいて、再びサムソンが強調していることは何ですか。
・6〜8節/


5 サムソンの行動は、「私はあなたがたに復讐する」というように、家族のための個人的な報復という大義名分があり、自然な流れで「ペリシテと事を起こす機会」となりました。こうして、イスラエル人を巻き込むことなく、サムソン一人で、「ペリシテと事を起こす機会」としましたが、ペリシテの反応はどうでしたか。なぜ、ペリシテは、サムソンを直接攻めて来ないで、そのような行動を取ったのですか。
・9〜10節/


6 ペリシテの進軍は、ユダ部族がサムソンを捕まえなければ、お前たちを攻撃するぞという脅しでした。ペリシテに対するユダの怒れに付け入る汚いやり方です。ユダの人々は、どのように反応しましたか。その反応は、ユダの人々のどんな心や姿勢をあらわしているでしょうか。
・11節/


7 サタンがクリスチャンを攻撃する方法の一つが、身近な人々同士を争わせ、裏切らせ、憎ませることです。ユダの人々は、ペリシテからイスラエルを救うために命がけで行動しているサムソンを理解せず、自分たちは戦いたくない、自分たちは助かりたい、サムソンだけ犠牲にしようとする身勝手な裏切り、保身の姿をあらわしています。あなたがこのような人々の姿に接した時、どのような思いになり、どう反応しましたか。サムソンは、この時どう対応しましたか。(参考/Tペテロ2:23)
・12〜13節/


8 サムソンは、同胞によって敵に引き渡されました。裏切りと保身の同胞の中で一人、怒ることもなく、彼らの弱さと罪を受け止めて、縛られるサムソンの姿がとても印象的です。それは、どのような光景を思い出させますか。
・マタイ27:13〜14,22〜23/
・ルカ23:34/

9 サムソンは、サムソンを殺そうと群がって来た多くのペリシテ人をろばのあご骨で、倒しました。しかし、勝利の後にサムソンに危機が訪れます。それは、私たちにどんなことを教えていますか。
・14〜15,18〜19節/

「命の実を刈り取ろう」

 大勢の敵を一人で倒した後、精根が尽き果て、のどが渇いて死にそうになりました。「バーンナウト、燃え尽き症候群」の状態です。サムソンは、一人で戦わなければならないために、「燃え尽きる」ことが問題です。私たちは、疲れ果てる時、燃え尽きていることをもっと主に叫ばなければなりません。
 サムソンは、自分を捕まえに来たユダの人々に対して、文句や弁明の一つも言っていません。自分が遣わされているのはイスラエルを助けるためで、同胞と戦うためではないという軸があるからです。肉の感情で反応すれば、サタン」の策略に陥ることになります。周りの人々がどのようであっても、私たち自身は、肉の感情で反応するのでなくて、信仰の軸で反応したいのです。示されたこと導かれたことを分かち合いましょう。

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