小グループで聖書を学ぶ

26 罪に陥る弱さに気付かない(士師記16:1〜17)

「心の門を開いて」

 サムソンとデリラの話は、オペラとして有名です。オペラの中では沈滞する同胞をサムソンが信仰的に励ますのですが、サムソンは士師としての霊的な指導をすることなく、しばしば異邦の女性と付き合い、それが罠となって行きます。サムソンのそのような行動や罪を見ながら、信仰者がどう揺れ動いて行くのかを学んで行きます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 士師としての働きは、御言葉をもって民を霊的に励まし、導くことですが、サムソンはスキャンダルとなる罪の行動をしています。どんなことですか。
・1節/



2 サムソンは、ペリシテ人千人を倒した後、異性に対する欲が強い乱暴者に戻ってしまいました。ペリシテに勝利したにもかかわらず、士師として民を御言葉で養い、霊的に指導することをしなかったか、そうしようとしたけれどもできなかったようです。なぜ、そうなったと思いますか。(参考/箴言16:18,ローマ16:18)



3 人は、活躍して大きな働きをした後、元の自分に戻って行くならば、平凡な人、いや罪や誤りの多い人になります。自分の活躍に肉の自信が増し、高慢になり、人間的な欲が大きくなるようです。この時のサムソンが陥ったような経験がありますか。



4 宣教と養育の働きをして行くならば、次第に反応する人々が出て来たはずですし、誘惑に陥ることもなく、罪を犯すこともなかったでしょう。サムソンには、神様から離れ一人だったので、気付かせて、整えてくれる人がいませんでした。彼は自分の弱さに気付くことなく、罪の姿に陥りました。サムソンの弱さは、肉の欲に倒され、放蕩しようとする欲求でした。あなた自身の弱さは何ですか。(参考/Uコリント12:20,Tテモテ6:4)



5 結局、サムソンの間違いは、自分に弱さがあることを考えなかったことです。私たちも、肉の思いが言動にあらわれても、自分の過ちに気付かない者です。聖い思いになるかと思えば、怒りや欲に燃やされます。賛美をする口から罵りや悪口が吐き出されます。どうすれば、このような罪と滅びの道から救われるのでしょうか。(参考/ヤコブ3:10)
・ローマ7:24〜25/


6 ペリシテ人がガザの町を囲んで、サムソンを捕まえようとしていました。罪に陥ったサムソンは、すぐに力を失って、敵に渡され、罰せられたのでしょうか。どうしてくださいましたか。放蕩していたサムソンをそこから引き出してくださった神様の忍耐とあわれみを知って、どう思いましたか。
・2~3節/
・ルカ15:12〜13,20〜22/

7 罪や過ちの危機から助け出されたなら、そこには神様の愛とあわれみとともに、警告もあることを私たちは悟らなければなりません。危ない状態から救われたのですから、神の前に立ち返らなければなりません。サムソンはどうなりましたか。(参考/詩篇191:71)
・4節/


8 私たちを倒そうとするサタンは、私たちの弱点を探し出し、そこを集中的に攻撃して来ます。ですから、私たちは自分の最も弱い部分をよく把握しておかなければなりません。自分の弱さに気付かないサムソンは、別のペリシテの女性が好きになり、誤りを繰り返してしまいました。人は、同じ罪を犯してしまう習性があります。罪の道ができているからです。デリラの美しさに囚われたサムソンは、どんな罠に落ちて行きますか。
・5~6節/
・17節/

9 デリラは魅力を用いて執拗にサムソンに力の秘密を聞き出そうとします。サムソンはすぐには教えることなく、偽の方法を教えます。そんなことを三度も繰り返しています。オペラの題材になるくらい二人の間で「愛していないの、愛しているよ、愛しているならなぜ嘘をつくの、愛しているけど教えられない」と続けられました。こんな繰り返しは愚かに見えるでしょうが、罪に陥っている時は自分の姿に気付かないものです。一人でいるため、神様から離れていたからです。何か思い当たることがありますか。
・15〜16節/

「命の実を刈り取ろう」

 サムソンの愚かさは、私たちも持っているものです。サムソンは、自分の力が長い髪にあると思っていましたが、力は神様がくださるものです。サムソンは自分の力を過信して、神様の御言葉を無視してしまったのです。私たちが自分の肉の思いや力を過信して、御言葉に聞き従うことをしないならば、いつか倒れてしまいます。今日の学びを通して悔い改めたこと、発見したこと、示された導きなどはどんなことですか。

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