小グループで聖書を学ぶ

27 この一時でも(士師記16:18〜31)

「心の門を開いて」

 サムソンは、放蕩する乱暴者で、罪に陥り易い人でしたが、それでも用いられるということを教えてくれます。罪のために何もかも失い、悲惨な状態になったサムソンですが、最も用いられ輝く時が来ます。私たちは、どう用いられるのでしょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 自分の力の秘密を教えてしまったサムソン、髪の毛を切られてしまうと、彼はどうなりましたか。
・18〜19節


2 サムソンの怪力は、長い髪から出て来るのでしょうか。彼の力は、神様から出たものです。考えること、行うことがナジル人の規定から外れるので、ナジル人として神様から与えられる力を失ってしまいます。自分の髪の毛を信じていたサムソンでしたが、続けて神様の御力を得るためには、どうすべきでしたか。何を信じなければなりませんでしたか。



3 長い髪にその力のもとがあると考えたサムソンは、自分が力を持っていると思い高慢になり、自分を信じました。でも、サムソンが神様の御力を失わないようにしようとするなら、髪の毛に執着するのでなくて、神様の御言葉をつかんでいくことが必要でした。執着しているものが、偶像になります。あなたは、何かに執着していませんか。私たちは、神様から与えられたものを感謝して、謙遜に用いる必要があります。執着するあまり高慢に陥ることはないでしょうか。



4 私たちに力を与え、恵みを与えて、導いてくださるのは、神様だということを忘れてはなりません。私たちは、神様の道具です。神様を愛し、神様に聞き従うことをしないで、自分を絶対視し、高慢になったサムソンは、愛するデリラに裏切られ、神様からの力を失ってしまい、ついにペリシテ人に捕らえられることになります。その結果どのような状態になりましたか。
・20〜21節/

5 この時サムソンは、人生のどん底に転がり落ちてしまいました。何もかも失い、何もできない哀れな囚人の姿となりました。誰一人助けてくれる者もなく、絶望に陥りました。しかし、このような惨めなどん底の状態で、これまで見ることのなかった自分の姿を見るようになりました。何もかもなくなってはじめて、神様だけを思うようになりました。どんな祈りをするようになったと思われますか。(参考/詩篇18:6,107:11〜13)



6 あなたは、どん底に落ちたように思ったことがありましたか。その時、どんな心境になりましたか。どのような悔い改めと祈りをしましたか。



7 人生のどん底の状態でサムソンは、自分がどれほど傲慢であったか、神様を無視していたか、どれほど罪を犯して来たか、どれほど自分が無知であったかに気付き、悔い改めました。神様に立ち返って祈ったサムソンにどんな変化が起こりましたか。このことで、サムソンはどんな思いになったと思われますか。私たちにも、何か目に見えるものや感じることのできるものを通して、神様の取り扱いを知ることがあります。あなたにとっての「髪の毛」は何ですか。
・21節/


8 ペリシテ人が、惨めなサムソンを牢から引き出して、宴会の見世物にしようとした時、サムソンはどんな祈りをしましたか。何をしましたか。その結果、どうなりましたか。
・28〜30節/


9 彼は、自分の死を通して、イスラエルに大きな救いを与えました。彼の人生は、惨めな失敗で終わったのではありません。こうして、彼は、最期に神様の栄光をあらわし、士師として用いられ、輝きました。そして、輝きは、それだけではありません。彼の最期の姿は、私たちにどんな姿を見せているのでしょうか。
・イザヤ53:3〜6

「命の実を刈り取ろう」

 彼の最期の姿は、イエス様の苦難のしもべの姿そのものです。サムソンは、人生のどん底で悔い改め、この時本当に神様の願われる姿に立ち返りました。私たちも、弱さがあり、罪を犯し易い者です。自分の姿に気付かない愚かな者です。でも、イエス様の十字架のゆえに神様に愛されている者です。主の前に立ち返り、悔い改めて、再び用いられ、輝きたいのです。人生の「この一時でも」信仰で輝くことができれば、崇高な幸いな人生となるのではないでしょうか。学びながら心に示されたことは何ですか。分かち合いましょう。マタイ13:43。

戻る