小グループで聖書を学ぶ

5 試みるため(士師記3:1〜11)

「心の門を開いて」

 イスラエルの民の特徴の一つは、困難がなければ神様をさがし求めない民、つまり困難を通して神様をさがし求める民であったということです。カナン入国後の新しい世代の時代になってからは、それが顕著になります。私たちにいろいろ考えさせる姿です。

「御言葉の種を蒔こう」

1 カナンに入ってから育ったり、生まれたりした世代は、どのような世代だと言われていますか。
・1節/
・士師2:10/

2 わざわざ「戦いを少しも知らない世代」と言っているのは、前の世代と比べて、どういうことを強調しているのでしょう。戦いを知らない世代の特徴を知るために、前の時代の姿と比べてみましょう。
・出1:22,2:23/
・ヨシュア11:18/

3 前の世代は、多くの労苦と苦難の中で御言葉をつかんで、神様に拠り頼んで、神様の救いと助けを経験した世代です。乳と蜜の流れる地で生まれ育ったカナン世代は、エジプトでの迫害も荒野での苦難もカナンでの戦争もまったく経験しない世代です。物質的な心配もなく、苦難を受けることなく、ただ生活の豊かさだけ求めるというような世代でした。このような世代に起こる問題とは、どんなことが考えられますか。(参考/詩篇106:21,ヘブル3:12)



4 この箇所には、カナンの原住民のリストが記されていますが、彼らがイスラエルの民の中に置かれていた目的は、何のためだったのでしょうか。
・3~4節/
・士師2:22

5 御言葉をつかんで信仰的に歩むには、刺や茨も必要です。私たちは、何の困難もないと勝手気まま、夢想的になり、傲慢になりやすいです。しかし、新しい世代にとって、この刺や茨がかえって悪いものを引き起こしました。周りにいるカナン人たちについて悩んむことなく、彼らといっしょになって、彼らの偶像を自分の偶像としてしまいました。クリスチャンでも、世の価値観で歩むもうとし、神様を後回しにして、世に熱心に従って生きようとしてしまうのです。形式的に礼拝をすることでよしとし、世の価値観にあわせようとしてします。そのようなことがありませんでしたか。
・5~6節/


6 彼らが偶像の民となった結果、どんなことが起こりましたか。それは、どういう意味や目的がありますか。
・7〜8節/
・申命記4:30,U歴代誌15:4/


7 私たちも、イエス様の十字架の救いの恵みを忘れて、御言葉に聞き従わないで歩むなら、その結果いろいろ問題や苦難に出会います。しかし、問題や患難に出会った時、どうするかが大事です。民は、大変苦しい状態が8年間も続きました。苦しんだあと、彼らはどうしましたか。
・9節/


8 民は、何とか自分で頑張って困難を解決しようとしましたが、到底自分の力でこれ以上することはできないと、恥や体面もかなぐり捨てて、神様の御前に涙を流しながら、祈るようになりました。あなたも、困難に陥った時、苦しい状態になった時、神様の御前に出て、泣きながら祈ることをしませんでしたか。どうしますか。



9 私たちが生きる道は、神様の御前に叫び祈ることです。神様は、民が叫び求めた時、オテニエルを起こしてくださり、アラムの王から民を救い出してくださいました。彼が民を裁き、アラム王と戦い、戦いに勝つことができた秘訣は何ですか。
・10〜11節/
・エペソ5:18/

「命の実を刈り取ろう」

 聖霊は、私たちをまったく正しい人に、神の人に変えて、私たちを力強く用いてくださいます。イエス様の十字架を信じて救われた私たちは、すでに御霊が内に住んでいてくださいます。ただいつも満たされているわけではないだけです。聖霊は私たちに与えられた最高の祝福です。最高の力、最高の知恵です。「聖霊に満たされる」なら、私たちにもの力が注がれます。きょうの学びを通して自分の姿を見ることができたのは何ですか。この箇所を通して、導きを受けたことは何ですか。

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