小グループで聖書を学ぶ

8 天の時、地の利、人の和(士師記4:11〜24)

「心の門を開いて」

 現代社会は女性の活躍する時代です。教会にあっては、女性の重要性はなおさらです。ただし、それにもかかわらず、クリスチャン女性自身がその重要性に気付いていないようです。イスラエルの運命を決める重要な戦いにおいて敵将を倒したのは、イスラエル人でない一人の女性でした。

「御言葉の種を蒔こう」

1 イスラエル人でないというのですが、どんな部族なのですか。どういうことが考えられる部族ですか。
・11節/
・民数記10:29〜32/

2 荒野を旅する間に、ホバブの子孫たちは御言葉を聞くことになり、やがて同じ神様を信じるようになりました。クリスチャンにとって重要なのは、イエス様に出会った時の飢え渇いた状態でいることです。ケニ人たちは、そういう信仰を持っていたということです。神様は、そのケニ人をキション川の戦いで用いるために、そこに置かれました。そのケニ人は後で登場します。戦いを前に、タバル山に登ったイスラエル軍が見たものは、何でしょう。そこから生じるイスラエルの民の心境を想像してみましょう。
・12〜13節/


3 タボル山に陣取ったイスラエル人は、キション川の流れるイズレエルの平原に集結した敵将シセラ率いるカナン軍と鉄の戦車九百両を一望できました。人々は「無理だ、不可能だ」とたじろいたことでしょう。私たちは、家庭や仕事や健康などの問題において、たじろいで、絶望して、行き詰る時があります。到底進めないと思うことがあるでしょう。どうするようにとこの箇所は教えていますか。
・14節/
・イザヤ41:10/

4 「さあ、やりなさい。」と訳された原語は、「さあ、立ち上がりなさい」という意味です。御言葉に、イスラエルは奮い立って、山を下りました。今日クリスチャンが抱く質問は、「果たしてこの困難な世において、信仰で御言葉だけにぎって生きていけるのだろうか」ということです。また、御言葉を聞いても、「御言葉はそう言うけど」と言って、聞き従えないことがありますが、あなたは、そのようなことはないですか。


5 神様は人のように口だけの方だけではありません。神様を信頼し、御言葉に聞き従って立ち上がる者に対しては、環境をも整えてくださいます。そのことをドラマチックな戦闘シーンの展開の中に確認しましょう。どうして勝利できたのですか。5章のデボラの歌も参照してください。戦いに際して「天の時、地の利」が必要だと言われますが、天候や地形はどう有利に働きましたか。
・15〜16節/
・士師5:20〜21/

6 にわかに雨が降り出し、川は増水して来ました。そこへ、夜タボル山から降りて来たイスラエル軍が押し寄せます。夜襲、ぬかるみの中で戦車は動かず、シセラの軍は恐れの中で大混乱に陥りました。「主がシセラとその戦車と、陣営をかき乱した」のです。これが、神様の作戦でした。私たちにも、人生において様々な戦いがあります。その戦いに勝つには、祈りです。神様に信頼し、御言葉を聞いて立ち上がる者には、神様の実際的な導きがあります。そのような体験があれば、分かち合ってくたさい。
・出エジプト14:13/


7 古来戦いに際しては、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」と言われています。つまり、事にあたってどれほど天の時や地の利があろうとも、人の和がなければ勝利できないということです。このキション川の戦いでも、「人の和」が、勝利を決定します。一主婦がどうして一人で敵将を倒せたのでしょうか。シセラが兵を見捨てて一人逃げてしまい、シセラ軍が敗北したことと対比してみましょう。
・(15〜16節/)
・17〜21節/

8 ケニ人は、信仰の恵みを体験していました。自分のような者でも主に用いられたいと思っていたでしょう。シセラが逃げてしまえば、イスラエルの苦しみは続きます。その思いが、ヤエルを動かしました。「人の和」が、勝利に結びつきました。一人の主婦という弱い器であったゆえに、一人で敵将を倒すことができました。天幕作りで使い慣れていた鉄の杭を用いるという自分にできることが用いられました。神様は私たちが考えもしない協力者を通して助けてくださることがあります。このヤエルの活躍を知って、思うことは何ですか。


「命の実を刈り取ろう」

 ヤエルは、ただの主婦であり、軽んじられていた遊牧民、天幕生活でしたが、従順な信仰、御言葉に聞き従う信仰が光っていました。たとえ良い家も農地もなくても、御言葉を聞いただけで立ち上がり、自分のできることで神様に用いられました。どんなに多くの御言葉を聞いても、感謝しない、感激しないのであれば、信仰は沈滞します。あなたは、このメッセージを通して、どんな導き、悔い改め、確信、新しい信仰の思いが与えられましたか。Tコリント1:27〜28。

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