小グループで聖書を学ぶ

9 感謝と賛美の歌(士師記5:1〜31)

「心の門を開いて」

 誰でも、うれしい時、気分が良い時よく歌を歌うでしょう。キション川の戦いを歌であらわしたものが、5章の「デボラの歌」です。歌い継がれた歌には、大事なメッセージが込められています。私たちへのメッセージとして受け止めましょう。

「御言葉の種を蒔こう」

1 この戦いは、イスラエルにとって、到底勝つことのできない絶望的なものでしたが、ただ神様の御言葉を信じて戦った時、驚くべき勝利を得ることができました。喜び、感謝したデボラは、何をしていますか。
・1,3節/


2 事がうまく行ったり、予想外の成果を得た時、自分の努力の結果だとか、運が良かったと考えるかもしれません。しかし、イエス様を信じる者は、神様のあわれみ、神様の助けや守りがあったことを忘れてはなりません。あなたは、日ごろ神様に感謝して、賛美をささげていますか。



3 デボラは、キション川の戦いで勝利することができた大きな要因の一つ、自分が励まされたことについて感謝しています。それは、何ですか。引用箇所も参照しましょう。
・2節/
・Uコリント9:7,8:3/

4 「民が進んで身をささげた」ので、神様をほめたたえています。敵のように強制的に徴兵されたわけではなく、みな自ら進んで戦いに加わりました。奉仕もささげる事も「強いられてでもなく、自ら進んで」することが大切です。デボラや指導者たちにとって大きな励ましとなりました。そのような体験があれば、お分かちください。



5 イスラエルが、平原にひしめく戦車九百両と戦うことは不可能です。それを恐れてタボル山から降りて行くことができませんでした。デボラが神様を賛美せざるを得なかったのは、戦いの時に「大雨」が降って、キション川が氾濫し、シセラの戦車が押し流され、ぬかるみの中で動けなくなったからでした。私たちも、人生において到底自分の力ではどうすることもできないことに出会うでしょう。なぜ、どうしてと思うでしょう。でも、私たちは、患難の中でどう考え、思えることができますか。(参考/ピリピ4:6〜7)
・20〜21節/


6 勝利することで、それまでの苦しい状態から解放され、状況が変わるので、感謝にあふれ、大いに賛美しています。以前どのようであったかを覚えることが重要です。キション川の戦いの勝利がどれほど感謝であるかが、いっそう強くなります。デボラが立てられるまではイスラエルの民がどのような状況であったと告白していますか。
・6〜7節



7 それまでは、道路では隊商や旅人が略奪され、農地が占領され、人々が逃げて去りました。そして、デボラが民に神様の御言葉を教えはじめた時、悲惨な状態の中にあって、イスラエルは最も霊的に沈滞し、無気力な時でした。民の信仰は眠っていました。デボラは、どんなことで励まされ、何と言って自分自身を励ましていますか。
・9,12節/


8 デボラが立ち上がり、デボラから御言葉を聞いた指導者たちも、立ち上がって献身するようになりました。それらの指導者の姿は、次第に民全体に広がって行くようになりました。デボラや指導者の姿を見て、民たちの対応に二つの姿が見られます。イエス様の御姿、御言葉は、私たちにどうすることを教えていますか。
・14〜18節
・マルコ10:45/

9 メロズの人々は、戦いに参加せず、人々を助けませんでしたが、一人で敵将シセラを倒した女性がデボラの歌の最後に称賛されています。比べてみると、この女性がどんな人で、どのように用いられていることが分かりますか。その特徴は何ですか。
・23〜27節
・Tペテロ4:10

「命の実を刈り取ろう」

 イスラエル人ではない、遊牧民であったヤエルという一人の女性が、信仰をもって自分のできる方法で敵将を倒し、イスラエルの勝利を決定的にしました。うまく行かず、無気力で停滞することもあるでしょう。ある時にはどん底に落ちるようなこともあるでしょう。でも、落胆してはなりません。絶望してはなりません。御言葉と賛美を通して、霊的眠りから目を覚ましましょう。信仰復興の火を燃え上がらせましょう。特別なものを持たない私たちも、力のない私たちも、信仰でもって、自分のできることで、主に用いられます。どのように立ち上がり、どんな働きをし、どのように用いられたいですか。詩篇95:1〜6。

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