小グループで聖書を学ぶ

13 最後まで忠実に、謙遜に(士師記8:1〜21)

「心の門を開いて」

 当然こうしてくれるはず、という思いとは違う反応を他人から受けた時、私たちは、当惑し、憤慨することがあります。ギデオンたちが大勝利した後、彼らは予想外の対応を受けることになります。それに対するギデオンの姿は、神様に用いられる人の変化を私たちに見せてくれます。

「御言葉の種を蒔こう」

1 ギデオンと300人の兵が奇跡的な勝利を得た後、イスラエル中央部に位置した最も有力な部族エフライム族も召集され、敵将の首をギデオンのところに持って来ました。その時、ギデオンは当惑するような態度に出会います。どんな反応ですか。なぜ、そんな反応をすると思いますか。(参考/Tコリント3:3,ピリピ1:15)
・1節/


2 高慢なイフライム族は、最初の時自分たちを招集せず、自分たちに相談しなかったギデオンを責めています。プライドが傷つけられた、という思いです。ギデオンみたいな小さな部族の取るに足りない者が活躍するなんて赦せない、という嫉妬心です。このような文句や難癖に出会ったことはありませんか。その時、あなたはどう思いましたか。



3 肉のプライドや嫉妬心から生ずる抗議に、人はどう対応するのでしょう。なぜ文句を言うのかと怒ったり、争ったりするでしょうか。ギデオンは、どんな対応をとりましたか。その結果、どうなりましたか。
・2〜3節/
・箴言15:1〜2/

4 ギデオンは、丁重に対応しました。エフライムが狭量で愚かであっても、一緒に戦ったということを評価しているからです。彼らも仲間とみなしています。土の器に神様の知恵が入っていますから、そのような見方、受け止め方ができました。私たち自身が狭量で肉の思いになることはありませんか。ねたみや高慢のために、人と争いを起こすことがありませんでしたか。



5 エフライム族の幼稚な嫉妬心、肉のプライドにくじけることなく、ギデオンと三百人の兵は、ミデアン軍追撃という地味で労苦の多い働きを続けますが、再び当惑するような態度に出会います。どんなことですか。
・5〜6,8節


6 休むことなく追撃していたギデオンたちは、のどが渇いて、飢えていました。二つの町で、水や食べ物を求めますが、町の者の反応は、酷いものでした。ギデオンたちをあざけり、支援要請を冷たく拒絶しています。彼らは、どうしてこのような態度を取ったと思われますか。



7 これらの町に対する厳しい対応は、仕返しではないか、といぶかる人もいるでしょう。同胞のために命がけで戦っている者たちを助けないどころか、侮辱し、邪魔をしたのは、敵と同じだからです。しかし、そのような態度に接した時、イエス様の姿は、私たちにどうするように教えておられますか。
・Tペテロ2:19〜24節/
・ルカ23:34/

8 追撃に勝利して捕らえた敵の王たちに対して、犠牲になった人々の責任を問いました。ギデオンが神様の召しによって立ち上がる以前、ミデアン人の迫害によって犠牲となった一族のようです。なぜ、わざわざそのようなことをしているのですか。そして、まだ若い息子に敵の王たちの処罰させようとしていますが、何かを忘れています。これは、勝利の後のギデオンにどんなことが必要だったのでしょうか。
・18〜21節/


9 その一族の犠牲の時には自分が立ち上がれなかったことが、これまで胸につかえていたのでしょう。まだ若い息子に処罰させようとしていますが、かつて自分が弱虫ギデオンだったのを忘れているようです。信仰が成長し、霊的に変えられたとしても、自分が弱い者、愚かな者、卑怯者であったことを忘れてはなりません。私たちが謙遜さを失うと、どんな姿になりますか。(参考/Tテモテ6:4〜4,箴言16:18)


「命の実を刈り取ろう」

 当然助けてくれるはずだ、認めてくれるはずだ、と思う場面で文句や侮辱を受けることがあります。つれない対応に出会うことは辛く悲しいことです。そこで、怒りや攻撃という反応をするなら、争いを引き起こし、痛みを残すでしょう。ギデオンは、終わりまで神様の召しに対して従順でした。途中で人々のプライドや妬みに乱されることなく、侮辱や中傷に揺さぶられず、飢えや渇きにも耐え、最後まで自分の召しと働きに忠実でした。ギデオンに文句を言う人、侮辱する人の姿やそれに対するギデオンの姿を学んで、心に浮かんで来たこと、示されたことを分かち合いましょう。

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