小グループで聖書を学ぶ
1 なぜ天を見上げているのですか(使徒1:1〜11)

「心の門を開いて」

 人生には、時折大きな出来事が起こります。生活の大きな問題だったり、災害だったり、社会の変動だったりします。そのような時、人はどのようになるのか、どのような様子を見せ、どのような行動を取るのかを弟子たち姿から学び、私たちへの適用としたいと願います。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 使徒の働きは、使徒たちの働きを記録したものであり、新約時代の教会がどのように開始され、福音がどのように広まったのかを知ることができます。この書は、誰が何のために記したものですか。はじめの部分の内容は、どんなことですか。
・1〜3節/
・ルカ1:1〜2/

2 イエス様が捕まると、弟子たちは逃げ出し、十字架につけられた後は隠れました。イエス様の復活は、そんな弟子たちにとって大きな出来事でした。きっと喜びと驚きで舞い上がってしまったでしょう。そんな彼らに、イエス様は何を御命じになられましたか。どんな約束をされましたか。
・4〜5節/
・8節/

3 逃げ出して隠れていた弟子たちが、そのままではイエス様の復活の証人として働くことはできません。そのためには、イエス様は聖霊が臨むと力を受けますと約束されたのですが、この聖霊とは何ですか。どんな力を受けるのですか。
・ヨハネ14:16〜17/
・使徒5:12,Uコリント3:18/

4 その力とは、何か特別なことができるだけではなく、内なる人が変えられることでもあります。弟子たちは、聖霊が臨むということを、神の国が迫っているしるしと思いました。しかし、復活のイエス様に出会い、舞い上がっていた弟子たちは、どんな質問をしましたか。弟子たちの願いは、どんなことであったと知ることができますか。
・6節/
・ルカ22:30/

5 当時イスラエルは、ローマ帝国に支配され、エドム人であるヘロデ王が治めていたので、人々の思いはいつか主がイスラエルを再興してくださることを夢見ていました。弟子たちはイエス様の国で大臣になり、イエス様と王国を治めるという幻想を抱いていました。私たちも、何かについて勝手な夢を思い描いたり、都合のよい幻想を抱くことがなかったでしょうか。それは、どんなことでしたか。



6 イエス様は、的外れの質問をした弟子たちに対して、何と言ってその思いから引き離し、どんなことに目を向けさせておられましたか。
・7節/
・8節/

7 御言葉は、夢見ることや幻想から、私たちを生活の現場へと目を移させてくれます。弟子たちのなすべき働きを言い残して、イエス様はどうされましたか。それに対する弟子たちの姿はどうですか。それは、弟子たちのどんな気持ちをあらわしているのでしょうか。
・9節/
・10節前半/

8 弟子たちはイエス様が見えなくなっても、ずっと天を見つめ続けていました。元の不安で恐れていた弟子たちに戻ってしまったのです。呆然と立ち尽くして、何も手につかなくなったようです。急に頼みとしていたことがなくなる、環境や状態が急変する、そんな時私たちは、どんな思いになるでしょうか。あなたはどうでしたか。
・詩篇61:2/(参考)
・ルカ21:34/(参考)

9 呆然と天を見つめ続けていた弟子たちのそばに、御使いがあらわれて、何と言いましたか。何を教えてくれましたか。これは、弟子たちの目と心をどこに向けさせようとしたのでしょうか。どのような生き方をするようにということなのでしょうか。
・10節後半 /
・11節 /

「命の実を刈り取ろう」

 イエス様がやがて来られるということで、弟子たちの気持ちを現実の生活に引き戻させているのです。言わば、聖徒たちは主の昇天と再臨の間を生きているということです。初代教会は、良い意味で差し迫った終末観を持っていました。終末に備えて、しっかり生きていたということです。
 私たちの人生にも差し迫ることが起こります。環境が急変する時があります。そんな時、私たちの心が浮き足立ち、心がそれに囚われ、現実の生活のことが手につかなくなります。そんな私たちにも、きょうの御言葉は、「天を見上げてばかりいないで、あなたの現実に帰って、なすべきことをしなさい」と言っているようです。「人生を無駄にしないで、目を覚まして、現実を確かに生きなさい」と教えています。学びを通して与えられた気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。

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