小グループで聖書を学ぶ
15 思い込み、偏見を超えて(使徒10:9〜48)

「心の門を開いて」

 人は思い込みの中で生きていると学者たちが言っています。思い込みの類似語に、先入観、固定観念、偏見があります。思い込みが凝り固まったものが固定観念であり、それが間違っているものを偏見と言うようです。私たちは、どうでしょうか。今日の箇所に登場する人が、どうして思い込み、偏見を持ち、どのようにしてそれを乗り越えたのかを学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 学者たちの言うように、人々は多くの思い込みの中で生きています。神の子どもである聖徒たちも例外ではありません。何と、使徒ペテロが、固定観念に囚われていて、偏見を持っていたのです。それを分からせるために、主は、不思議な幻を見させています。どんな内容ですか。主とペテロの間で、どんなやり取りがされていますか。
・9〜16節/
・レビ11:3〜4,7/(参考)

2 これらの規定は、病気の蔓延や食中毒の防止のためだったのでしょうが、それらの規定は、ユダヤ人の独善的な固定観念となりました。それらの肉を食べたら汚れると思い込んでいたのです。ここに選民意識が加わり、異邦人は汚れた者たちだ、交わってはいけないとしていたのです。ひどい偏見を持っていたのです。ところが、イエス様は何と教えておられましたか。
・マルコ7:18〜20/
・ローマ14:14〜15/

3 イエス様は、はっきりと食べ物が人を汚すのではないと言っていたにも関わらず、ペテロはまだこの固定観念を持っており、偏見に囚われていたのです。この固定観念、思い込みは、神様がきよいと言っても、聞かないくらいでした。私たちには、どんな思い込みや固定観念があったでしょうか。仕事や家庭生活、人間関係において思い当たることが、何かありますか。
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4 このような思い込みや固定観念を持っていたペテロではあっても、そのままではありませんでした。この幻を見た後、ペテロはどう反応していますか。何か事が起こったら、聖書は、どうするように教えていますか。
・17,19節/
・箴言16:9,マタイ1:20/

5 だれでも思い込みはあります。固定観念が作られます。それはどうなのか、どうすればいいのかと思い巡らすことがあればいいのです。聖書ではどう言っているのだろうか、と黙想することが大事です。ペテロが幻について思い惑っていたちょうどその時、何が起こりましたか。思い巡らしていた時、どんなことがありましたか。私たちが信仰生活をしていると、よくこういうことが起きます。あなたにも、そんな例がありますか。
・17〜20節/
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6 せっかく異邦人であるローマ軍百人隊長との会合が準備されていたのに、それに応じなければ、その後の進展はまったくありません。固定観念と偏見を乗り越えなければ、受け止めることはできません。ペテロは、どう反応しましたか。そして、どのようなことを告白しましたか。
・21〜25節/
・28節/

7 私たちが、人と出会い、人と交わる時、固定観念や偏見を持ったままだと、躓きや衝突が起こりやすいでしょう。まったく違う環境で育ち、それぞれ違う生活習慣や考え方を持っているのですから、思い込みや固定観念を一つ一つクリアーして行かなければなりません。躓きや衝突の後、思い込みや固定観念を乗り越えた例があれば、証ししてください。
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8 固定観念や偏見を乗り越えたペテロは、コルネリオが自分を招いた理由を知って、神様が何のために出会わせたか、はっきりと分かりました。それは、どういうことですか。
・33〜36節/
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9 福音を伝えるということは、民族の伝統と文化を乗り越えることです。この人は聞いてくれない、あの人は無理だろうという思い込みや固定観念を超えてこそ、証しできるのです。福音を信じることも、それまでの固定観念や偏見を超えてこそ、罪の生活習慣を悔い改めてこそ、信じることができます。伝道や証しについて、どんな固定観念や偏見がありますか。それを乗り越えた事例は、どんなことですか。
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「命の実を刈り取ろう」

 ペテロの説教を聞いた人々がイエス様を救い主と信じ、洗礼を受けることになります。こうして、ユダヤで始まった救い主イエス様の福音は、異邦人のローマに伝わることになります。私たちは、どんな思い込みや固定観念を持っているのでしょう。固定観念や偏見を乗り越えて、主の前に出ましょう。学びを通して与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。

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