小グループで聖書を学ぶ
16 弁明できる用意を(使徒11:1〜18)

「心の門を開いて」

 人生において、批判され、非難されることがしばしば起こります。時には、気が滅入って、落ち込んでしまうでしょう。時には、悔しくて、眠れなくなるでしょう。私たちは、どう反応しているのでしょうか。非難された使徒がどう応答したかを通して学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 話の元は、前回のローマ軍百人隊長コルネリオたち異邦人が救われたことです。異邦人が大勢福音を信じて救われたというニュースは、すぐにエルサレムの弟子たちに伝わりました。素晴らしい働きを終えてエルサレムに帰って来たペテロを、迎えた聖徒たちは、どんな反応でしたか。その理由は、何ですか。
・1〜3節/
・使徒10:28前半/

2 自分の失敗や足りなさのために非難されるのならまだしも、もちろんそれすらきついことですが、良いことをして、称賛されるはずなのに、非難され、咎められてしまいました。どうして、なぜ、そんなことにとショックを受ける状況です。心が萎えたり、憤慨もするでしょう。心が痛み、辛くなります。私たちは、どんな場面で経験したでしょうか。



3 異邦人と交わるな、一緒に食事をするなとは、彼らの先祖たちが作った言い伝えです。今日でも、それまでの慣習や言い伝えを信仰生活よりも優先してしまうことが起こります。非難する者に対して、ペテロは、どうしましたか。これは、非難する者たちの気持ちにどうしていることになりますか。
・4節/


4 直ぐ怒り出すペテロ、後先考えずに行動するペテロが、非難を受け止めて、事の次第を順序正しく説明しました。人は非難されるとショックを受け、怒ったり、自己嫌悪に陥ったり、悔やんだりします。そういう感情が大きく波立ち、非難を受け止められなくなります。力いっぱい打ち返すのは攻撃型、ひたすら逃げるか黙るのは受身型、ひそかに倍返しするのは作為型と言われます。あなたは、非難を受けた時、しばしばどの型のような反応をしていますか。


5 私たちは、このペテロに学ばなければなりません。たとえきつい言葉で批判されたとしても、誤解されて非難されたとしても、親切に優しく、忍耐して穏やかに対応するのです。ペテロの説明の前半を見てみましょう。自分について、何と告白していますか。それは、どういうことを意味しますか。非難する者をどんな気持ちにさせるのでしょうか。
・5〜10節(8節)/
・ヨブ33:6/

6 私も皆さんと同じく頑固だった、私も思い違いをしていたと言うのです。信仰的に混乱していたので、神様に反抗したというのです。これを聞いただけでも、非難する者の憤慨はダウンしたでしょう。後半は、カイザリヤでコルネリオに会いに行って、そこで起こった出来事を説明しています。何が強調されていますか。自身の計画や考えではなく、何の働きであり、導きだと言っているのですか。
・11〜15節(12,15節)/
・ローマ8:14,Uコリント3:18後半/

7 聖霊の導きと働きに従っただけだと説明しています。割礼派の聖徒たちも、聖霊の働きを非難できません。さらには、6人の兄弟たちも一緒だったと説明しています。ユダヤ人は、複数の証人を必要としました。こうして、淡々と事実だけを説明しています。それが強力な説得力を持ったのです。説明した後、思い出した聖句と意見を言っています。どんなことですか。これは、非難する者にどう響いたと思いますか。
・16節, ルカ5:30〜32/
・17節/

8 イエス様の言われた事ということで、パリサイ人が罪人や取税人と共にイエス様を非難したように、自分たちもペテロを非難していたと気付かされたでしょう。どうして私など〜と言って、神の意思があらわれたのだから、自分は従うほかなかったと言わんばかりです。主張とは聞こえません。ペテロの説明と意見を聞いた彼らの反応は、どうですか。
・18節/


9 彼らは、神様の御言葉と驚くべき働きに言葉を失ってしまいました。非難していた者たちが、かえってはっきりと異邦人の救いを宣言してくれました。批判され、非難を受けた時、私たちはどう反応するのでしょうか。聖書は、どう勧めていますか。
・Tペテロ3:14〜16/

「命の実を刈り取ろう」

 多くの失敗をしましたが、主に愛され、用いられたペテロは、そのような自分を受け入れ、そんな自分にOKを出していました。それで、非難に動揺することなく、落ち着いて信仰で弁明できました。今日の学びで気付かされたことや示されたことを分かち合って、互いのために祈りましょう。Tペテロ3:14〜16。

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