小グループで聖書を学ぶ
22 神の御手の中で(使徒13:13〜25)

「心の門を開いて」

 問題、失敗、病気などのために自分の計画通り行かない、自分の願いが頓挫する、そんな時人は、否定的、悲観的になってしまいます。でも、イエス様を信じる者には、その中でも神の御手があり、導きがあると聖書は教えてくれます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 パウロたちの伝道チームは、キプロス島を後にして、今のトルコ半島に上陸しますが、事件が起きます。どんな事件ですか。その理由は、どんなことが考えられますか。
・13節/
・使徒12:12,25/

2 ヨハネ・マルコがエルサレムへ帰ってしまった理由は、若かったのでホームシックにかかってお母さんの元に帰った、旅の大変さに怖れて伝道チームから抜けた、リーダーがパウロに代わってしまったのでバルナバに付いて来たマルコは怒った、パウロの体調を知って伝道旅行に悲観的になったなどが考えられています。人は、こんなマルコをどう思うでしょうか。マルコの途中離脱について、パウロはどう思っていましたか。
・使徒15:38〜39/
・/

3 途中で抜けた、大変な時に離脱したというのは、大きな失敗でした。後々まで響いて来る大失態でした。けれども、後にマルコは変わります。パウロにとってどんな人になりますか。それらを知って、あなたが受ける印象は何ですか。
・ピレモン1:24/
・Uテモテ4:11/

4 もう一つの事件が起こっています。パウロの一行は、トルコ半島南部のパンフリヤ州のペルガに渡ったのに、そこを素通りして、北のピシデヤ州のアンテオケに行きました。その理由として考えられることは何でしょう。
・13〜14節/
・ガラテヤ4:13,Uコリント12:7/

5 この時のパウロの病気は、低地で湿気の高いペルガでマラリヤにかかったと言われています。それで、高地の涼しい乾燥したアナトリヤ高原へ行かなければならなかったのでしょう。ペルガで病気になって、宣教ができずに、療養のために転地せざるを得なかったとき、パウロはどんな気持ちになったと思いますか。



6 パウロは、病気のためにペルガで宣教の働きができなくて、転地療養のためにピシデヤのアンテオケに行きました。そこで待っていたのは、どんなことですか。何ができるようになったのですか。
・14〜15節/
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7 病気になって肉体が痛み、宣教の働きができなくて心が痛んだことでしょう。療養のためにピシデヤのアンテオケに行くしかありませんでした。しかし、そこで福音を伝えることができました。そこにも神の導き、神の御手があったのです。私たちにも、失敗や事件、病気や問題で望むとおりにならず、意図していないことをさせられたりすることが起こります。でも、そこにも神の御手があり、神の導きは続きます。例があったら、分かち合ってください。
・詩篇139:10/
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8 パウロの語り出しにおいて、神の民の歴史を概観するのですが、そこで、神がイスラエルの民をどうしたとありますか。ダビデをどうして王にしたとありますか。なぜ、イスラエルの民がそうされたのですか。何か理由があったのですか。
・17, 22節/
・申命記7:7,Tサムエル16:10〜11/

9 ただ神がイスラエルをご自分の民として選ばれ、ダビデをその王として選ばれたからです。かえって最も少ない、小さい民だから選ばれたと言われています。ダビデも兄弟の中で最も幼い者でした。教会を迫害していたパウロがどうして救われたのか、なぜパウロを異邦人の使徒として用いられるか、神がパウロを選ばれたからです。神が異邦人宣教師として用いようと選んだからです。私たちの人生はどうですか。
・Uテサロニケ2:13/
・ヨハネ15:16/

「命の実を刈り取ろう」

 パウロがペルガで病気になっても、異邦人宣教の働きは変わらず、続きます。神がその働きに選ばれたからです。選んだのであれば、責任を負ってくださいます。パウロはピシデヤのアンテオケに行って、単に病気静養のためだけではないことを知りました。病気に罹った状態でも、ここで福音を伝えられるのだと感じながら、働きを続けました。パウロの説教にあるのは、神の意志の下にある世界観です。神に選ばれた聖徒は、どんな中でも、諦めたり、失望したりしません。神の御手の中にあるからです。学びを通して知ることができた恵み、与えられた確信を分かち合い、互いのために祈りましょう。詩篇139:10。

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