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24 永遠のいのちに定められていた(使徒13:44〜52)

「心の門を開いて」

 同じことを見たり聞いたりしても、反応が違い、それぞれ理由があるものです。ピシディヤのアンティオキヤで福音を聞いた人々の反応にも違いがあり、それぞれ理由がありました。その理由は予想外のことであり、不思議なことでした。人の罪と福音について大切なことを考えさせてくれます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 ピシディヤのアンティオキヤの会堂で、パウロから福音を聞いた人々は旧約聖書に預言されていた救い主がイエス様のことであり、イエス様を信じることで罪の赦しを受けられることを知って感動し、喜びました。次の安息日にも来てくれるように頼みました。そして、1週間後、どんなことが起こりましたか。
・42節/
・44節/

2 福音を聞いた人々が喜んで、感動して純粋な思いで話すものですから、町の人たちも一緒に来ました。先週の安息日に福音を聞いた人の大部分は、ユダヤ人です。集まった大勢の人を見て、嬉しかったはずです。ところが、この時、一部のユダヤ人は、集まった大勢の人を見てまったく違う反応を見せました。どんな人たちが、どんな反応をしましたか。
・45節/
・使徒5:17/

3 パウロは、まず同胞のユダヤ人に受け入れてほしかった。そのためなら自分がのろわれてもいいと言うほどです。ユダヤの権力者たちが福音を拒み、反対したことは、とても残念だったはずです。でも、パウロは、がっかりしたのでしょうか。ののしるなんてひどいと嘆いたのでしょうか。このことをパウロは、どう受けとめましたか。
・46〜47節/


4 パウロは、ユダヤ人が拒んだ結果、異邦人に福音が広がって行くという御言葉の通りだということを受け入れたのです。私たちがいくら熱心に誠実に伝えたとしても、謙遜に神の時と導きに委ねなければなりません。ユダヤ人の権力者たちが反対し、ののしったのですが、その理由は何でしたか。
・45節/
・Tテモテ6:4〜5/(参考)

5 ユダヤ人の権力者、指導者たちは、パウロたちが人々の人気を得たことを妬みました。自分たちの権威やプライドが傷つきました。それで、怒ってパウロに反対し、福音を拒んだのです。妬みは、最初は羨ましい程度なのですが、妬みの思いが強くなると、怒りや憎しみに進み、言動にまで及びます。ユダヤ人権力者のねたみは、どこまで進みましたか。
・50節/


6 人は、たとえ高尚なことを言っていたとしても、ほんの些細な幼稚なことで妬んで心が傷つき、怒るものです。妬み、嫉妬、これが人の心を惑わせ、関係を壊し、人生まで破壊するのです。私たちがねたみから守られるには、どうしたらよいのですか。
・ヤコブ3:16〜17/
・Tペテロ2:1〜2/

7 一方、集った多くの異邦人は、異邦人へ救いが広がって行くという預言の通りになったことを聞いて喜び、賛美して、みな信仰に入りました。彼らが福音を受け入れ、イエス様を信じたというその応答の理由は、何ですか。
・47〜48節/
・エペソ1:5,11/

8 「永遠のいのちにあずかるように定められていた」という表現がしばしば誤解を与えます。いわゆる予定論です。救いに定められていたのなら別に伝えなくてもと考え、定められていないならば伝えても無駄なのではと考えるのです。予定と言っても、未来のことではなく、かえって過去のことを振り返らせています。神様の一方的な救いの恵みを受け取った者は、救われたことを振り返って、ああ私は永遠のいのちを受けるように定められていたのだとただ救いの恵みを感謝するだけなのです。では、反対して、福音を拒んだ人々は、永遠のいのちに定められていなかったからなのですか。
・46節/


9 神が彼らを「永遠のいのちにふさわしくない者と定めた」のではなく、福音を拒んだ彼らが「自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めた」というのです。そうであるならば、伝道について私たちは、どうしなければなりませんか。
・ローマ10:13〜14/
・マルコ16:15/

「命の実を刈り取ろう」

 私たちは、イエス様を信じる者は誰でも救われると思い、すべての人に福音を伝えなければなりません。予定論とは、罪人である人間の無能や無力と神様の恵みを徹底的に強調したものです。予定論は、人を謙虚にし、神への賛美と感謝に導きます。私たちは、人より正しくて優れていたから救われたのではなく、神様がイエス様にあって救おうと定められていたから救われたのです。私たちは、この大きな恵みに応答して生きるのです。受けた適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。ローマ8:29〜30。

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