小グループで聖書を学ぶ
29 互いに高め合う(使徒15:12〜35)

「心の門を開いて」

 問題解決の最後のステップは、解決策の実行にあります。それで、解決されたのなら、今後起こり得る同じような問題の発生に備えて、ノウハウを体系化し、共有することが必要だそうです。エルサレム会議の結論と会議後の動きも、今後起こり得る同じような問題の発生に備えてのことだということが分かります。そのためには、どんなことが必要だったのでしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 エルサレム会議は、ペテロの証しの後、バルナバとパウロが報告して、最後に議長のヤコブが議長として結論を告げます。エルサレム教会の柱のように重んじられ、エルサレム教会の主任牧師のようになっていた人です。まず、どんなことを言っていますか。
・12〜15節/


2 預言者のような呼びかけ、ペテロをヘブル語名シメオンで呼ぶなど、律法主義のユダヤ人に配慮しています。神の民にとって、最も大切なのは、御言葉に一致していることです。異邦人の救いも聖書によると言い出しています。御言葉に基づくことであるなら、後になって反対する律法主義者が現れても、変わることはありません。旧約聖書のアモス9:11〜12から引用された内容はどんなことですか。ペテロの証しと比べましょう。
・16〜18節/
・使徒15:8〜9,11/

3 神様が倒れたダビデの仮庵を建て直し、その廃墟を建て直すのは、ユダやイスラエルの民だけでなく、異邦人も救われるためだと預言されていました。異邦人を救われるのは、昔から預言されていたことなのです。私たちが何かを決断したとして、それが果たして御言葉にかなうものなのか、主の御心に沿うものなのか、考えているでしょうか。気付かされた例があれば、分かち合ってください。



4 会議の議長のヤコブは、律法を重んじた人でした。行いのある信仰を見せてくださいと言うヤコブ書を記した人です。聖書の求めることは、形式的に律法を守ることでも、救われる以前の生活を続けることでもなく、御言葉に沿った、主に喜ばれる徳を高める生活です。そこで、ユダヤ人の聖徒に求めていることは何ですか。
・19節/
・使徒15:10/
5 ユダヤ人の聖徒たちが、自分たちの伝統や習慣を押し付けて、信じる異邦人を悩ませてはいけないと言っています。先に救われた者は、福音の恵みや祝福を証しし、自分は御言葉に従ってきよい生き方をし、証しとなる生活をするだけです。一方、異邦人の聖徒にも勧めているのは、どんなことですか。それは、どんな人たちを配慮してのことですか。
・20節/
・Tコリント10:25〜28/

6 20節のことは、当時の異邦人社会でよく行われていたことですが、ユダヤ人にとっては耐え難いことでした。確かにイエス様を信じただけで救われますが、救われたなら、救われた人に相応しい生活があります。イエス様に喜ばれるように生活しようとするでしょう。結局、19〜20節は、互いにどうするように勧めていることになりますか。
・Tテサロニケ5:11/
・ローマ15:2 /

7 本質的でないことは、互いのことを尊重して、互いに配慮して、徳を高めるようにしなさいということを聖書は教えています。会議の結果は、再び同じような問題の発生に備えて、関係者に周知しなければなりません。どのように知らせていますか。それは、何を意味していますか。
・22〜23,27節/


8 議場から会議の決定を知らせる使者を選んで、議長ヤコブからの手紙を持たせ、文書で会議の結果を伝え、アンティオキア教会の聖徒たちの前で読ませて、周知させました。再び問題が発生することがないようにしています。さらに、配慮している文があります。どういうことですか。
・24節/
・26節/

9 手紙の最後には、会議の結論が記されていますが、結論決定の主体が、議場にいた人々が決めたというのではなく、「聖霊と私たちは〜決めました」と伝えています。これは、何を意味しているのですか。
・28節/
・箴言16:1〜2/

「命の実を刈り取ろう」

 自分たちが会議の結論を決定したのは、聖霊の導きによったと知らせています。私たちは、何かを決める時、聖霊の導きを求めて、聖霊と一緒に決めているでしょか。御言葉を読んで黙想し、祈る人が御声を聞くことができます。主に相談し、聖霊とともに決定することは、信仰生活にとって重要なことです。詩篇119:24。私たちは、御言葉を聞き学ぶだけでなく、御言葉を実行して、互いを高め合う信仰生活をすることを願います。気付かされた適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。ヤコブ1:21〜22。

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