小グループで聖書を学ぶ
33 牢獄で祈り、賛美する(使徒16:16〜33)

「心の門を開いて」

 人は苦難の中でどのように過ごすのでしょう。そうした境遇を嘆き、悲しむのでしょうか。恨みつらみを言うばかりでしょうか。ひたすら忍耐し、過ぎ去ることを願うのでしょうか。何と、今日の箇所には、牢獄の中で賛美する人々が出て来ます。どういうことなのでしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 ピリピでパウロは、祈りをするために川辺に向かっていた時、どんな人に出会いましたか。この人は、どんなことをしていますか。
・16〜17節/
・/

2 この人がパウロたちのあとについて来て「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と幾日も言うので、パウロは困り果てたというのです。おかしいですね。この女性がパウロたちを賞賛して、救いの道を宣伝してくれているのに、なぜ、パウロは困り果てたのですか。考えてみましょう。
・18節/
・Uコリント11:14,エペソ5:6/

3 この女はパウロたちをほめて人々の目を人へ注目させています。「救いの道」には、定冠詞が付いていません。唯一の救いの道ではなく、いくらでもある救いの道の一つという印象を与えます。「いと高き神」とだけ聞いた人々は、ギリシャの神話のゼウスを連想したことでしょう。占いの霊につかれた女性が宣伝するのですから、人々はパウロたちを同類のように思うでしょう。悪霊の巧妙で危険な妨害だったのです。私たちは、どうすべきですか。
・マタイ26:41/


4 私たちは、妨害を受けた時、祈らなければなりません。どんな妨害であるかもよく分かっていないからです。妨害への的確な対処を誤らないように主に聞かなければなりません。この人の妨害に困り果てたパウロは、この人からイエス様の御名によって悪霊を追い出しました。その結果、どのようなことが起こりましたか。
・18節/
・19〜22節/

5 その女の占いで利益を得ていた主人たちは、怒って、パウロたちを訴えたのですが、その理由は、「ユダヤ人が町をかき乱し、ローマの風習に違反している」という偽りでした。町の人々も同調して訴え、長官は取調べもせず鞭打ちにしました。私たちも、よく事情の知らない人々から批判される時があります。ちょっとしたことで恨まれ、非難されることもあります。そんな時、どんな気持ちになるでしょうか。
・/
・/

6 肌を直接鞭打たれれば、肉は裂け、血が噴出し、骨も砕けます。それも何度もさせたのです。どれほど痛み、苦しんだことでしょうか。苦しみは、肉体的だけではありません。さらパウロとシラスの二人は、どうなりましたか。そのような境遇になれば、人の精神はどんな状態になると思われますか。
・24節/
・伝道2:20,ルカ21:34/(参考)

7 暗い牢に閉じ込められ、足かせされた者は、精神的圧迫を受け、絶望感に陥りました。圧迫を受け絶望感に陥ると、人は精神的に牢の中にいるようになってしまいます。失意と無力感で、心病み、体力も失われて行くようです。絶望と恐れの極みであった地下牢の中で、パウロたちはどうしましたか。どうして、そんなことができたのでしょうか。
・25節/
・/

8 パウロは、地下牢の中で苦しみ祈りながら、なぜ主は幾日も悪霊につかれた人をそのままにさせておかれたのかという疑問が氷解しました。直ぐにあの人から悪霊を追い出していたら、こうして地下牢に入れられて、福音を伝えることはできなかったはずだと分かったのです。牢獄にいることも意味があると思えるようになりました。感激して、賛美が口から出て来ました。祈りをすると、なぜ賛美するほどに心が変わるのでしょうか。
・U歴代誌20:9/
・Tコリント10:13/

9 原文を文法的に見ると、しばらく祈った後、賛美したとみることができます。熱心に祈った後、賛美が出てきたということです。苦難の中で必死に祈り、苦しいからこそ懸命に祈り続けます。すると、イエス様を十字架に渡されたほどに私を愛された神様を信頼し、守りや導きを確信するようになります。心が落ち着いて来て、祈りを聞かれる神様に感謝し、賛美が出て来るのです。そんな経験があれば、分かち合いしょう。


「命の実を刈り取ろう」

 苦難の中では、先が見えません。苦難のトンネルの中で賛美するのは、信仰の行動です。賛美は、気分でするのではなく、信仰ですることなのです。賛美は、主を愛して、信頼しているという信仰告白です。そして、神様も私たちの祈りと賛美を聞いて働いてくださいます。受けた適用や導きを分かち合い、互いのために祈りましょう。Tコリント10:13。

戻る