小グループで聖書を学ぶ
34 他の人のことも顧みなさい(使徒16:26〜40)

「心の門を開いて」

 私たちの社会は、他人を思いやる人が多い社会ではありましたが、近年そうでない人々も増えて来たと言われます。そもそも、ほかの人のことも顧みなさいというのは聖書の教えです。このような世相だからこそ、聖徒たちは、この聖書の教えを学び、実践することが必要です。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 パウロたちは、地下牢で神様を信頼して賛美していたのですが、神様はどのようにしてくださったのでしょうか。どんなことが起こっていますか。
・26〜28節/


2 パウロたちは、牢獄の扉も開き、鎖が外れたのに逃げていません。囚人たちが逃げてしまったと思った看守は、責任を問われるのを恐れて自害しようとしましたが、パウロが止めました。どうして自分を酷い目に合わせた看守を助けたのですか。あなたがパウロの境遇だったら、どうですか。
・ピリピ2:4/(参考)
・ローマ15:2/(参考)

3 看守は、大変衝撃を受けました。パウロたちが地下牢から逃げることなく、看守の自分を恨むことなく、自分を自害から助けてくれたからです。感動した看守は、どんな態度になり、どんな質問をしましたか。どうして、このようなことを言うようになったと思いますか。ローマ兵で看守をして来たこの人の人生から考えてみましょう。
・29〜30節/
・伝道2:1,23/ (参考)

4 ローマ兵であれば、幾多の戦争で、人の死を見て来て、自分も戦いの中をかろうじて生き残ったという体験があるでしょう。看守として、多くの囚人たちの罪とその末路を見て来ました。自分が人の死にかかわって来たという意識も、重くのしかかっていたことでしょう。人の罪の姿、命のはかなさ、人生について常日頃考えていたのです。看守の質問に対して、パウロは何と答えましたか。これは、聖徒たちに好まれ、覚えられている聖句の一つですが、どのような誤解がありますか。あなたは、以前どう理解していましたか。
・31節/


5 自分だけ救われるのではなく、自分を通して家族が救われるようになります。しかし、自動的に残りの家族も救われるとは言っていません。確かに、看守とともに看守の家族がみな救われて、洗礼を受けています。でも、それは自動的ではなく、それだけの理由があります。家族は何を聞いて、どんなことを見ていますか。
・32〜34節/


6 看守は、家族がパウロから主のことばを聞くようにしています。家族は、地下牢で起こった劇的な出来事を知らされ、福音を聞いたのです。家族も看守の人生を通して、人の命のはかなさ、人の罪の姿をよく知っていたことでしょう。看守同様家族もまた、備えられた魂であったからだと思われます。この看守の行動を見て、私たちは、31節の約束をどのように受け止め、どのようにして行くことが必要だと思わされますか。
・31節/


7 感動的な看守家族の救いの後、パウロたちは牢の中に戻りました。これは、看守が罰を受けないためです。看守は罰を覚悟して二人を牢から連れ出したのに、二人は夜明け前に、地下牢に戻ったのです。どれほどほかの人のことを顧みているのでしょうか。このような信仰に対して、どんな導きがありましたか。
・35〜36節/


8 しかし、長官の釈放命令を聞いたパウロは、拒んでいます。なぜですか。裁判もなしに鞭打ち、牢に入れられたことを怒って、憎んでいたのでしょうか。謝罪しろとごねていたのでしょうか。パウロの釈放後の行動から考えてみましょう。言われたようにひそかに牢獄から出たとしたら、どうなる恐れがありますか。
・37〜39節/
・40節/

9 長官が来て釈放することで、パウロたちが無罪であったことを町の人々が明らかに知るようになります。そのまま去ったのでは、ピリピ教会の聖徒たちが騒乱を起こす仲間とみなされ、迫害を受ける恐れがあったからです。このこともまた、他の人のためということでした。なぜ、パウロたちは、このようにほかの人のことを顧みて行動したのですか。その元は何ですか。御言葉は何と教えていますか。
・ローマ15:2〜3前半, ピリピ2:4〜8/

「命の実を刈り取ろう」

 今日の箇所は、ほかの人のことも顧みる聖徒たちの信仰の姿を見せています。その姿はイエス様に見られるものです。イエス様は、私たちを救うためにご自分を低くし、十字架の死にまでも従われました。イエス様を信じて救われた私たちも、このイエス様のことを思って、自分のことだけではなく、ほかの人のことも顧みて生きて行くことを願います。学んで与えられた導きや決心を分かち合い、祈りましょう。ピリピ2:4。

戻る